2022年元旦の抱負

早いもので、私がこの被害を自覚した2011年から今年で12年目となりました。10年一昔と言いますが、長かったような、あっという間だったような、奇妙な感覚の中、新たな年を迎えました。

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今年こそはと毎年誓ってはみるけれど

いつも新年を迎える度に、「今年こそは少しでも解決に向けて前進しよう」と誓い、実感できる結果を残したいと願うものの、その年が終わってみると、殆ど何も残せなかったことに失望する、といったことを繰り返してきたように思います。

早くUPしたい動画も無数にあるのに、遅々として進まず、編集しかけて何ヶ月も放置している動画があったり、そうこうしている間に別の事に対応しなければならなかったりで、中々思う様に進みません。

このブログもまだ下書き状態の記事が殆どで、それを公開できた段階で動画の方に主力を投入したいと思っているのですが、それもいつになることやら。

なんて新年早々愚痴ばかりで申し訳ないのですが、それでも嘆いてばかりいるわけにもいきません。どんなに時間がかかろうとも、一つ一つ形にしていく他ありません。この被害を解決するただ一つの方法は、自分が訴えている被害が精神疾患由来の妄想でも何でもなく、紛れもない事実であることを客観的に証明することだから。

論より証拠

結局、この一言に尽きるのではないかと思います。

妄想だ、統失だと言われた時に、有無を言わさず相手を黙らせることができる証拠、若しくは根拠があれば、こんな犯罪などとっくに解決していたはずです。

そもそも統失などという差別的な言葉を使うこと自体がどうかとも思うのですが、加害者がレッテル貼りの為に定着させた言葉なので、反論する際に、どうしてもそのワードを使うことになってしまいますが、本当に統合失調症で治療を受けている方がこの言葉を聞いたら、馬鹿にされたように感じ、さぞ不快になることでしょう。(その方が本当に統合失調症なのかどうかはさておいて。)

そういう意味で言えば、集ストを否定(隠蔽)したいがために、「統失」だの「糖質」などと侮辱的で差別的な言葉を多用する加害側の人間というのは、どこまでも罪深い者たちだと思います。

いずれにしても、論より証拠です。決定的な証拠は得られなくとも、状況証拠は得ようと思えば得られます。彼らはわざと不自然さを演出してターゲットに気付かせるわけですから、明らかに矛盾している行動を取るので、被害者側はそれを指摘すればいいのです。

“囲い込み”と言論統制

私はそのようなことを常に意識して動画を作成したりブログやツイートもしているつもりですが、他の被害者の方たちからは殆どスルーされています。ツイートなどは見えていないのかも知れません。私もかなりの方をフォローしていますが、ホームをクリックした時に表示される方というのは、よくRTしたりいいねする人たちに限られていて、多分10~20人くらいの方のツイートが繰り返し流れているような印象を受けます。それ以外の方は「ホーム」に表示されないので、目に入ってくる機会がないのです。

Youtubeも不都合な動画は次々に削除されてしまい、いよいよ言論統制があからさまになってきています。被害者が投稿する動画も「極めて冒涜的」「攻撃的」「悪意ある表現」「第三者の権利を侵害している」などという理由で削除されてしまうことが予想されます。あるいはペナルティを受け、チャンネル自体が削除されてしまいかねません。

陰謀論的な考え方をするなら、これもずっと前から計画されていたこと。便利なサービスに依存させ、そこに囲い込んでおいてから情報操作や言論想統制をして、自分達の思い描くように大衆を支配、コントロールして、理想とするワンワールドを完成させる。そんなシナリオ通りに世の中が進んでいるようにしか思えません。単なる「陰謀論」であるならそれに越したことはないのですが、果たして「陰謀論」と小馬鹿にしていれば済む話なのでしょうか。

真に冒涜的で攻撃的で悪意に満ちていて他者の権利を侵害しているのは、これらギャングストーキング加害者たちなのに、被害者がそれに対抗する手段さえ奪われてしまう世の中は、加害者にとってはさぞかし楽園でしょう。

彼ら“特権階級”は、何をやってもお咎めなし。人を殺めても許されるのに、被害者が少しでも反撃したらペナルティを受ける。こんなことがまかり通っているのです。それを許してはいけないと強く思います。相応の報いを受けるべきなのです。

虎の尾を踏んだ加害者たち

今年は寅年ということで、格好つけて虎のことわざなどを引用してみたい気分だったりするのですが、いくつかあることわざの中でも、「虎の尾を踏む」ということわざが、今の自分にはしっくり来る感じです。

とは言っても、虎のように強くもなければ威厳があるわけでもありません。なにか発信しても、誰からも見向きもされないような状況ではあるのですが、それでも私には、立ち止まるとか、やめてしまおうという気持ちはありません。いつか誰かの目に留まって、あるいは加害側の息の掛かった者たちが決して否定できない事実を突きつけることで、解決に繋がる蟻の一穴になればと、身の程知らずな淡い期待を捨てきれずにいるのです。

「虎視眈々」という言葉も、今まで加害者の生態を揶揄する時などに悪い意味で使ってきたのですが、逆に被害者が加害者への反撃のチャンスを窺ってその時に備える、というポジティブな意味合いにも使えるなと思い、冒頭の画像となった次第です。

加害者たちは、世に知らされていないハイテクノロジーという卑怯で卑劣な手段で被害者をいたぶり、翻弄し、苦しめている。それに対して被害者は、何の防御手段も持たない弱い立場。

そんな卑怯者に負けるなんて悔しいじゃないですか。

たとえ絶対的に不利で弱い個人であっても、本気で怒らせたらどうなるのか、あなた達は集団でなければ何もできないけれど、ずっと一人で戦ってきた被害者を見くびるな、そんな思いが冒頭の画像に載せたキャプションです。「虎の尾を踏んだことを後悔させてやりたい」などと、少しだけ“威嚇”してみたつもりです。

弱くて何もできない小者ではあるけれど、それでも気持ちだけは虎のように雄々しくありたいと思う2022年の元旦でした。

ここを訪れる数少ない読者の方に。こんな支離滅裂な私ですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。



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