
フバタス・クナーベさんの「 諜報国家のやましい秘密」という動画を見ると、私たち集団ストーカー被害者が盗聴や盗撮をされ、監視されていると訴えていることが、「統合失調症からくる妄想」でもなんでもないことがわかると思います。逆に言えば、“そのようなことにしておきたい人達”によって編み出されたのが「統合失調症」という病名ではないでしょうか。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
以下、動画からの書き起こしを、スクリーンショットを交えながら掲載させていただきます。

発狂しているのかと思われるほど強調しておりますが、私達の被害にとっても無関係ではないのと、大変重要な事なので、お見苦しい点はご容赦ください。
(書き起こし開始)
今年ドイツでは、東ドイツの平和革命の25周年を祝っています。
1989年、共産党政権が倒れベルリンの壁が崩壊し、その1年後に東ドイツであるドイツ民主共和国と西ドイツであるドイツ連邦共和国が統一し、今日のドイツが成立しました。
ドイツは東ドイツから様々なものを継承しましたが、その中には東ドイツの旧制度であるシュタージという秘密警察の文書保管庫もありました。
シュタージが解散してからわずか2年後にその保有文書が公開され、私のような歴史学者は東ドイツの諜報活動についてより詳しく知るため、これらの文書の研究を始めました。
おそらくみなさんは『善き人のためのソナタ』という映画を観た事があるでしょう。この映画によりシュタージは世界中に知られるところとなりました。
私達は「諜報」とか「盗聴」という言葉を新聞の一面記事で扱うような時代に生きているので、シュタージが実際にどの様な活動をしたのかについてお話したいと思います。
始めにシュタージの歴史を簡単に説明します。というのもその自己概念を理解することはとても重要だからです。
その起源はロシアに発します。
1917年ロシア共産党は反革命・サボタージュ取締、全ロシア非常委員会、通称チェーカーという組織を設立しました。
これはフェリックス・ジェルジンスキーが率いていました。チェーカーは共産党が支配体制を築くために人々を恐怖に陥れ、敵を処刑する手段として利用しました。
後によく知られたKGBへと発展しました。シュタージの役人達はチェーカーを崇拝し、自らをチェキストと称し、ご覧の通り記章もそっくりでした。
実際ロシアの秘密警察がシュタージを作り上げたのであり、その指導を行っていました。
赤軍が1945年に東ドイツを占領した時、組織は直ちに拡大し、ドイツ人共産党員の訓練をすぐに始め、自ら秘密警察を作り上げました。
さて我々がいるこのホールで1946年に東ドイツの与党が設立されました。その5年後にシュタージが組織され抑圧という汚い仕事を徐々に担っていきます。
例えばロシアによって作られた、政治犯を収容する中央刑務所は、シュタージの手に管理が渡り共産主義が終焉するまで使われていました。
始めの頃は全ての重要な手続きがロシア人が同席する中で行われていました。しかしとても効率的なことで知られるドイツ人なのでシュタージは急速に成長し、既に1953年にはナチの秘密警察のドイツのゲシュタポよりも多くの構成員を抱えていました。
10年ごとにその数は倍になり、1989年にはシュタージには9万人以上の構成員が働いていました。つまり1人あたり180人の住民を監視するという他国で例を見ないものでした。
このとてつもない組織のトップに立っていたのが、エーリッヒ・ミールケという人物です。
彼は30年以上もの間、国家安全省を支配下に置いていました。彼は用心深い役人でした。ここからさほど遠くない場所で警察官2人を殺害し、シュタージを私物化していた人物です。
しかしシュタージの何が特別なのでしょう?
まず何よりも、とてつもない権力を有していました。というのも、いくつかの異なる役割を1つの組織に集約したものだったからです。
第1にシュタージは諜報機関でした。情報を密かに収集するために想像しうる限りのあらゆる手段を用いました。たとえば密告や電話の盗聴などです。
こんな写真も残されています。
東ドイツだけでなく、世界中で活躍していました。
第2にシュタージは秘密警察でした。街角で人々の前に立ちはだかり逮捕し私設の牢獄に投獄する事ができました。
第3にシュタージには検察の様な役割もありました。仮の調査を開始し、公式に人々を尋問する権利がありました。
最後に、と言っても大事な事ですが、シュタージは自ら軍備を備え、11,000人以上の兵士が「衛兵連隊」として努めていました。抗議運動や反乱を鎮圧するために設立されたのです。
この様に権力が集中していたので、シュタージは「国家の中にある国家」と呼ばれていました。
シュタージが用いたツールをもっと詳しく見てみましょう。
覚えておいていただきたいのは、当時はインターネットもスマートフォンも発明されていなかった時代です。シュタージは人々を調査するために、もちろんありとあらゆる技術的な道具を用いました。
電話には盗聴器が仕掛けられました。西ドイツの首相の電話も対象でした。またアパートも盗聴していました。
毎日9万通の手紙がこの機械で開封されました。
シュタージは特訓を受けたスパイや隠しカメラで何万人もの人々の行動を逐一記録していました。
この写真には私達が今ここにいる建物の前に立っている若者としての私をご覧になれますが、これはシュタージのスパイによって撮影されたものです。
シュタージは人々の匂いですら収集していました。密閉した瓶に保存されたサンプルが平和革命の後に発見されました。
この様な各任務は非常に専門家された部署によって行われていました。
電話の盗聴は手紙を検閲する部署とは完全に独立していました。これには理由がありました。あるスパイがシュタージをやめても、彼の知る情報を僅かなものに限定できるからです。これは例えばスノーデンのケースと対照的です。
一方、組織の縦の役割を特殊化することも、観察の対象にいかなる感情移入をも防ぐ意味で重要でした。私を追尾していたスパイは私が誰であり何のために追尾するのか知りませんでした。実際、私は西側から東ドイツに禁書を持ち込みました。
しかしシュタージはとりわけスパイ、つまり組織に密かに通報する人間を重視した点が特徴的でした。国家安全省大臣にとって、いわゆる非公式要員が最も重要でした。
1975年以降20万人、つまり人口の1%以上の人々がシュタージと常時協力していました。
ある意味、大臣のやり方は理が適っていました。
技術的な装置は人々の行動を記録することしかできませんが、密告者やスパイは人々が企んでいる事や考えている事を報告できるからです。それ故にシュタージはこれほど多くの密告者を雇っていました。
彼らを雇い「教育」する方法はーその様に言われていましたがーとても洗練されたものでした。
ここから遠くない場所にシュタージの大学がありました。そこでは役人を対象とした方法論が考え出され教えられました。このガイドラインには知り合いを裏切らせるための一つ一つのステップが詳細に書かれています。
圧力をかけられ密告者になったとよく耳にしますがそれは多くの場合正しくありません。
無理強いされた密告者の働きは芳しくありません。求められている情報を教えたがる者こそ効率的な密告者なのです。
シュタージに協力した者達には大抵、政治的信念や報奨がありました。役人達は密告者たちとの個人的なつながりを作ろうとしており、正直言えばシュタージの例が示すように、他人を裏切らせることは難しいことではありません。
イブラヒム・ベーメのように東ドイツの反体制派のトップでありながらシュタージに協力するものもいました。彼は1989年の平和革命のリーダーであり彼が密告者であったことが明らかになるまで自由体制になって初の東ドイツ首相に選ばれようとされていたのです。
スパイのネットワークは実に広範囲でした。殆どすべての組織に、教会や西ドイツにさえも多くの密告者がいました。
こんな事がありました。
シュタージのリーダー的な役人に「私に密告者を送ってもきっと気が付くさ」と言いました。すると彼はこう答えました。
「誰も送りつけてはいないね。君の周りの人間を利用しただけさ」
実際私の2人の親友がシュタージに密告していたのでした。
私の場合に限らず密告者はとても近くにいたのです。例えば別の反体制派のリーダー、ヴェラ・ラングスフェルドの場合、夫が彼女をスパイしていました。
有名な作家が兄弟に裏切られていたケースもありました。
これはジョージ・オーウェルの小説『1984』を思い起こさせます。この話では一見唯一の信頼に足ると思われた人物が密告者でした。
ではなぜシュタージは全ての情報を資料保管庫に保存したのでしょうか。
主な目的は社会を管理することでした。シュタージの長官はことあるごとに「誰が何者か確かめろ」と言っていました。つまり「誰が何を考えているか調べろ」という事です。
彼は誰かが反体制ののろしを上げるまで待つことをしませんでした。誰が何を考え企んでいるのか予め知りたがっていたのです。
東ドイツの国民は不信感と恐怖の広まった状態を作り出す全体主義体制において、周りは密告者だらけである事をもちろん知っていました。
これはいかなる独裁政権においても人々を抑圧する最も重要な手段であったのです。それゆえに共産党体制に立ち向かおうとする東ドイツの人々はあまりいませんでした。そういう者に対しシュタージはしばしば実に残虐な手段を取りました。
「チェルゼッツン」と呼ばれたもので、もう一つのガイドラインに記述されていました。
この意味を性格に訳す事は難しいのですが、「生物分解」という意味からきています。しかしこれは実際の所意味をとても正確に表しています。
目的は人々の持つ自信を密かにぶち壊す事です。例えば評判を貶めたり、仕事で失敗する様に仕向けたり、人間関係を壊すのです。
東ドイツはとても現代的な専制政治だったともいえるでしょう。シュタージは反体制派の人々を全員逮捕しようとはしませんでした。彼らを麻痺させることを優先したのです。大量の個人情報を有し多くの組織に通じていた事から為し得たことです。
人々を拘束することはあくまでも最終手段でした。拘束のためシュタージには各州に1つずつ17の再拘束のための牢獄を有していました。
ここではシュタージは、とても現代的な拘束手段すら開発しました。尋問する役人はたいてい囚人を拷問にかけたりせず、かわりに洗練された方法で精神的な圧力をかけました。
中心となるのは完全な隔離です。ほとんど全ての囚人が証言へと追いやられました。
ベルリンにある旧シュタージの牢獄を訪れて、元政治犯の囚人によるガイドツアーに参加すればこれがどのように行われたのか説明してくれるでしょう。
もう1つ答えるべき問題があります。
シュタージがそれほどまでに上手く機能していたのならばなぜ共産党体制は崩壊したのでしょうか?
まず第1に1989年、東ドイツの首脳部は広がる抗議運動にどう対処したらいいか分かりませんでした。特に社会主義の生みの親であるソビエト連合でより自由な政策がとられたことから困惑しました。それに加え体制は西ドイツからの借款に依存していました。それゆえ反乱を鎮圧せよという命令がシュタージに出されませんでした。
第2に共産主義者のイデオロギーに対し、批判する事はできませんでした。逆に指導者たちは社会主義は完全にであるという信条に縛られもちろんシュタージもこれに倣わなければなりませんでした。
その結果、体制側はせっかく収集したデータから真の問題を洗い出す事ができず、よって問題を解決する事ができませんでした。
そしてついにシュタージは自らを防御する組織体制が原因となって死に至りました。
シュタージの最後は悲劇的でした。役人達は平和革命が進行する中でたった一つのことに専念しなければならなかったからです。
数十年間の間に書き続けてきた文書を破棄する事でした。幸いにも人権擁護者たちにこれは阻止されました。
そのおかげで今日ファイルを調べることにより、諜報国家がどう機能するのかよりよく理解する事ができます。ありがとうございました。
ブルーノ・ジュッサーニ:有り難う、本当に有り難うございます。
フタバスさん、いくつか質問があります。先週から(元シュタージの)スピーゲル氏がここに来ていて「NSAはシュタージの同類」と発言しています。先程私の祖国(スイス)の隣国である東ドイツのスパイと密告者について語られましたが、この2つの話には直接的な関連がありますか、それともありませんか?これを見て歴史家としてどう思われましたか?
クナーベ:私は様々な観点から述べる必要があると思いますが、まず最初に、同じくデータを収集する行為であっても目的が異なっていると思います。テロリストの攻撃から国民を守る為なのか、それとも国民を抑圧する為なのか?これは基本的に異なっています。
しかし一方で民主主義社会においてもこういった手段が濫用される可能性があり、注意を払って阻止しなければなりません。また諜報機関はルールを守らなければなりません。
3つめのポイントは我々は民主主義の国にいてとても幸せであり得る事です。一方ロシアや中国はともにきっと同じ様な事(諜報)を行っているのですから、でも誰もそれを語ったりしません。そんな(危険な)ことはできないのですから。
シュタージの件がはじめて暴露された時、あなたはドイツ法廷で刑事告訴しましたね、どうしてですか?
先程申し上げた2つめのポイントにあります。とりわけ民主主義においてルールは皆のためにあると考えています。皆のためのルールですから、いかなる組織もこれを破ってはなりません。
ドイツの刑法には裁判所の許可がない限り盗聴をしてはならないと書かれています。幸いにもドイツの刑法に明記されているのですからこれが守られていないのならば捜査されるべきでしょう。
ドイツの検察官が本件の捜査を始めるまでにかなりの時間がかかり、アンゲラ・メルケル首相の件が初の事例となりました。国内に住む他の人々の捜査は始まっていません。
驚きはしませんよ。お話を伺った後ですからね。外部から見ればドイツに住んでいない者からみれば、ドイツ人はもっと力強く迅速に行動すべきでしょう。しかしメルケル首相が盗聴されていると発覚して始めて人々は反応しました。なぜでしょうか?
国民がドイツの民主主義を安全だと感じている証拠です。逮捕されるのだと恐れることもなくこのカンファレンスの後、ホールを後にする時、秘密警察が立ちはだかって自分を逮捕するなどと誰も思っていないでしょう。ですから良い兆候だと思います。国民は以前の様に恐れていません。しかしもちろんのこと、公共機関はドイツ国内であれどこであれ、不法な行動を抑止する義務があるでしょう。
個人的な質問ですがこれで最後にします。ドイツではエドワード・スノーデンの亡命を認めようという議論がありました。これに賛成ですか、それとも反対ですか?
これは難しいですね。でも質問されたので正直に答えますと、亡命を認めて良いと思います。というのも彼はとても勇敢で自分の人生や家族そして全てを犠牲にしたからです。このような、人々のために何かをすべきだと考えます。とりわけドイツの歴史を振り返ってみると、多くの人々が国外に脱出し亡命を求めましたがこれは叶いませんでした。ですからスノーデンの亡命を認める事はよいことなのです。
フベタスさん、どうもありがとうございました。
(以上、書き起こし終了)
動画投稿者様に感謝とともに、スクリーンショットを多数拝借してしまい、お詫び申し上げます。
こうして見てみると、シュタージの監視体勢には、ドイツというよりロシア共産党が大きく関与している事がわかります。
前回の記事で書いた様に、ヒトラー及びナチスドイツ、そしてホロコーストなどについて理解する前は、ロシアの事もあまりピンと来なかったのですが、なぜドイツ(ヒトラー)が敗北したのか、どの様な背景があったのかがおぼろ気ながら見えて来たのと同時に、ロシアのドイツ占領からシュタージへと、すべて繋がっているのだなと、ようやく理解する事ができました。
そしてユダヤへと繋がります。プーチン大統領がロシア政府のかなりの割合がユダヤ人だと話しています。
これらの事から、あの悪名高きシュタージは、ナチスではなくロシア共産党の諜報機関だった、という見逃してはいけない事を見逃していた事に気付き、急遽ここで取り上げさせて頂いた次第です。
ぜひ前回の記事と併せてお読みいただけたらと思います。
*・*・*
今回、改めてシュタージについて掘り下げていたところ、不覚にも私は非常に重要な事を見落としていたのです。それはシュタージの起源がロシア共産党であったこと。
シュタージ=ドイツというイメージが定着している為、そこからヒトラー、ナチスと連想してしまう方も多いかも知れませんが、実際にこの秘密警察が結成され、“やましい監視行為”が行われる様になったのは、ヒトラー及びナチスドイツが倒れた後の事だったのです。
つまりそれは「悪の権化」「残忍で凶悪な独裁者」であるはずのヒトラー及びナチス・ドイツが倒れた後に、なぜかこの様な恐ろしい支配体制と諜報組織が出来たという事を意味します。
しかもそれは、アメリカから無制限に潤沢な資金援助を受けながらドイツと戦い、そして勝利を収めたロシア共産党によって。
なのにヒトラーがー、ナチスがー、と絶叫し、糾弾する“正義の”人達。
ん?何かおかしくないですか?
悪の権化であったヒトラーが倒れたのだから、世の中はもっと平和になっていたはず・・だったのではないですか?
その史上最上級の悪人を成敗した者達が権力の座に着いたのなら、もっと善人(というより戦争なんてしないで普通に生活したいだけの一般人)にとって住みやすい世界になってたはずではないですか?
なのに世の中はこんなにも不幸な人で溢れている。
他人を引きずり落とし、足を引っ張り、目障りな人間は容赦なく暗殺する様な残忍さと凶悪さが消える事はなく、今も確かに続いている。
絶える事のない戦闘や紛争やテロ、そして次々に繰り出される偽旗事件や事故によって命を奪われる犠牲者達。
おかしくないですか?私達は叩く相手を間違っているのではないでしょうか?
というより、その様に巧妙に仕組まれたプロパガンダや教育によって、私も含め殆どの人が誤った“常識”や“信念体系”を植え付けられ、真の虐殺者や支配を企む者達にとって都合のいい様に誘導され、踊らされ、喜んで彼らの協力者を買って出て、自らスポークスマンを引き受けていただけだった・・のではないでしょうか?
誰が仕組んだのかは言うまでもないと思いますが・・・。
(ヒント:加害者と被害者を180度逆転させる天才、数字的にもあり得ない不可能を可能にするマジシャンの様な方々?)
「そうは言ってもヒトラーもシオニストで彼らと通じていて役割を演じていたのだ」とか、「ヒトラーも結局は騙されて利用されただけだったのだ」とか、「ヒトラーはユダヤ人でロスチャイルドの孫でメルケルはその娘で・・」などという説がまことしやかに流れていますが、本当でしょうか?
私はそれらもユダヤが書いたシナリオではないかと疑っていますが、その辺りまでしっかりと調べたわけではないので、詳しい方々の意見を参考にしていただければと思います。(くれぐれも雇われた人達の意見ではなく)
*・*・*
今回改めてご紹介させていただく動画は、このブログで紹介し始める時(多分半年かもう少し前辺りだった様な)にざっと目を通したのですが、意外と見ている様で見ていなかったというか、肝心な所を見落としていた様です。と言うより、その時に一通り字幕を読んではいたのでしょうけれど、どういう事なのかピンと来なかったので流してしまった、という方が近い気がします。
ガス室でのホロコースト神話が捏造だったという事を漸く理解して目から鱗が何枚か剥がれ落ちた今は、そういう構図や背景が随分と鮮明に見える様になったのかも知れません。
と同時に、どれだけ自分の目が曇っていたのかと驚きつつも、如何にこうした大掛かりな、(そしてそれは子供の教育段階から始まっていて、主に出版業界や言論人、芸能界やマスコミが仕掛け人や役者として「活躍」する)一大洗脳ネットワークがこの世界にくまなく張り巡らされて、ユダヤ主導の露骨で壮大な支配プロジェクトに世界が組み込まれていたのかを認識する機会となりました。
あのベルリンの壁の崩壊とは何だったのか、なぜあんなに民衆が怒っていたのか・・ようやくその意味を「実感?を伴って」理解する事が出来た様に思います。
ただし、この様な事を書いているからといってヒトラーが善人で、偉大な人物だったと崇拝し絶賛しているのではない事をお断りしておきます。(中はその様なレッテル貼りをしている工作員一派がいる様ですが、何が目的でツイッターをしている人達なのでしょうか?誰に雇われているのかは言わずもがな、ですけれど。)
しかし、少しずつ理解を深めるにつけ、ヒトラーは正しかったのではないか・・・、そうした思いが強くなる一方なのです。当時のドイツ国民は洗脳されていたのではなく、心からヒトラーというリーダーを歓迎し、支持していた事が、当時の映像からは伝わって来ます。
そして「ユダヤ人の絶滅」などという事は全く計画も実行もされていなかった。国ごと食い尽くそうとするユダヤ人に困り果て、国外に移住して欲しいと望んでいただけだった、戦争などしたくはなかった、それが真相だったのではないでしょうか。
いずれにしても、「ヒトラーは悪の親玉」を信じない者は人に非ずの様な風潮に大きな疑問と矛盾と違和感を感じるのと同時に、ある一部の“ゆ快”な者達の利益の為に、余りにも嘘を信じさせられて来た事に対して憤りさえ覚えるのです。知らなければまだしも、知ってしまった以上は黙ってはいられない、という心情なのです。更なる犠牲を食い止める為にも・・。
そもそも私自身がそのとばっちりを受けているかも知れない(というより受けている)のに、黙って耐えろ、物事は諦めがが肝心、寛大な心で・・、などと言われても、それはできません、という話です。
もし、今まで当たり前の様に受け入れ信じて来た事が嘘だったと分かっても、それでも信じたいと多くの人は思うのでしょうか?それは何かに対する恐れの感情?自分(の信じてきた世界)を否定するのが怖いから?だからと言って、騙されたまま一生を終える方が幸せなのでしょうか。
私にはそういう風には全く思えないのですが、それでいいと思う方はそれでいいのかも知れません。ただ「道連れ」になりたくはない、「心中」は御免被りたい・・とは思います。
「何らかの便宜を受けたかも知れない、収容所で収容されていた人の証言」であったり、「迫害された民族である事で様々な恩恵や特権に与れる立場にいる人の談話」だったり、あるいは「非常に残忍な拷問の結果として、捕虜や“囚人”達の口から吐き出された証言」であったり、「本当に本人が書いたのかという疑問さえ浮上している日記」などが、かのホロコーストの唯一といっていい証拠(根拠)である事を無視していませんか?
それらを無視して、ナチス・ヒトラー=悪の権化という“常識”や“正義”を疑わず、全てヒトラーが悪い、全部ナチスのせい、それではヒトラーがやった事と同じだ、安倍はナチス!(最早、意味不明 ※注1)などとと何かにつけてナチスやヒトラーと結びつけ(こじつけ)結論付けてしまうのは、「誰かさん達の目論み通り」であり「大きな間違い」ではないのか?・・などと、今一度立ち止まって考え、見直し、検証し直すきっかけとしていただけたなら幸いです。
注1:本当に安倍総理が「周囲の意見も提言も一切聞かず、制止も振り切り、民衆を洗脳して自分の意のままに暴走する独裁者」だったなら、「アベガー」は全員逮捕されているのではないですか?
こちらはぜひ目を通していただきたいサイトです。
ホロコーストと見直し論
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話は変わりますが、今朝6時頃、北朝鮮がミサイルを発射したらしく、国民保護サイレンというのを始めて聞きました。
※この記事は初回保存が8/29でしたが、最終更新日時が公開日時になる様に変更しています。
画像出展:襟裳岬の東 約1180キロの太平洋上に落下と推定 防衛省
あの国民保護サイレンというのは本当に不気味でした。そしてその後の広報で「ただいま北朝鮮のミサイルがこの地域の上空を通過した模様です」という放送があり、通過したなら取りあえずは大丈夫かなとほっと胸をなで下ろしたのですが、もしかして私があまり好き放題書いているので、それに対する威嚇というか牽制?なんて一瞬思ったりもしました。
まさかそんな事はないだろうとは思いますが、それにしても、なんでこんな事をする国の高校を無償化とかしないといけないのかと無性に腹が立ちました。(ダジャレではなく)
無償化にする為の原資だって殆どは日本人の税金でしょうに。
それと生活保護支給も停止して全員お帰り頂いた方がいいのではないでしょうか?日本で生活できないのであれば、本国に帰ってその国の政府が面倒を見るべきです。日本に集るのは本当にやめて欲しいです。
また市民レベル、地域レベルでも、日本国内で何やら不穏な動きをしていますし、結束していますし、何かあった時には北朝鮮に有利な行動を取るのは目に見えています。政府も「厳しい対応を取る」というのであれば、その位の事はして欲しいと思います。
それにしても、本当にミサイル、発射されて日本の上空を通過したんでしょうか?だとしたら自衛隊がスクラブかけたりとかしなかったのでしょうか?時々この上空を飛行する戦闘機の爆音を聞きますが、今朝は戦闘機の音などは全く聞こえませんでした。
そうした報道も全くされていなかったのと、もしミサイルが海に墜落したなら、当然その破片とか回収しますよね。そしてどの様なミサイルが発射され、何処に落下し、どの様な脅威に日本が晒されているのかなど、徹底的に解明する必要と責任があると思います。そして国民に説明しないと駄目じゃないですか?
もしかしてこれって日本のお役所も一緒になって演じた偽旗作戦だったのではないですか?わざわざ曇りの日を選ぶのも怪しいですね。晴れていたら目視できるから嘘だとバレちゃうし。
何よりも、自分達の仲間や“同志”が沢山済んでいて金づるの日本に、本気でミサイル打ち込むとは思えません。それに、本当にミサイルが落下したら、表向きは対立している様に見えるアメリカ軍が知らん顔しているのも変なので、一応制裁を加える様な展開になるはずで、最初からそんな事をする気はなかったと思います。
やっぱり怖がらせる為の演出だった可能性が大、だと私は思いますけれど・・・。
北朝鮮よりもこっちの方が危ないみたいですね。
画像出展:北朝鮮のミサイルもどきより中国の本物を警戒せよ 1000基の長距離巡航ミサイルが日本全土を狙っている(JBpress)