人間、いつ何が起きるかわかりませんし、私も年齢が年齢なので、あと何年生きられるんだろう・・というようなことを考えることが多くなりました。
TI(Targeted Individual:組織ストーカーのターゲット)のように、常態的に身体攻撃をされている場合は尚更、自分の体がいつまで持ちこたえられるのかと気にしてしまいます。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
私が残してきたものを無断で使う勿れ
もし私のブログや動画、ツイッターの更新が途絶えた場合、おそらく私はもうこの世にはいないと思います。病気などで予めその時が来ることがわかっていれば別ですが、人間、いつ何があるかわかりません。
ということで、何やら遺言めいた内容になってしまいますが
私が残してきたもの、つまり全てのブログ記事、ツイート、そして動画の一切の使用を禁止することを、改めてここに明確にしておきたいと思います。
しかし、以前から
「転載禁止」と明記しているにもかかわらず、平然と転載する人がいます。(スクショ含む)
そのような行為は本当にやめて欲しいのです。
しかも、私を貶めるために魚拓を保存したりスクショを取る行為をする人間もいるのですが、そのような人物を私は心の底から嫌悪しています。
ネットに投稿したものは、たとえ無名であっても著作物(知的財産)ですから、作成者のみに使用、管理および削除する権利と権限があるのですが
一旦転載されてしまったものは、自分の管理下から切り離され、悪用されたり晒しものにされたり、不名誉な形で永久にネット上に残ってしまうなど、多大な不利益を被るので、それが嫌だと言っているのです。
もちろん、ネット上に公開された情報には「引用」という形を取れば転載できてしまいます。ですから私がいくら「転載禁止」と明記したところで、法的な効力はありません。それも承知しています。
しかし、そのように明記することで
このブログの管理人は転載されることを嫌がっているのだな
ということは伝わるはずです。
嫌がっていることを敢えてするのは、たとえ法的に問題がなくとも、人としてどうなのでしょうか?
ご自分が逆の立場だったらどのように思うでしょうか?
自分が公開したものが、不名誉な形で、あるいは不本意な形で引用されていたら、嫌な気持ちにならないでしょうか?
自分がされて嫌なことはしない。それが大人としての、そしてネットを利用するうえでの弁えだと思います。
しかしそのような「意思表示」でさえ、身勝手だの自分本位だのと騒ぎ立てる人物が、非常に残念ながらいることもまた事実です。
個人ブログの運営方針は運営者が自由に決めていい
そもそも個人のブログをどのように運用するのか、どのように利用して欲しいのかという方針やルールを、そのブログ管理者が決めることに何の問題があるでしょうか?
そしてそのルールに法的拘束力がないのであれば、従わなければいいだけの話です。その「運用ルール」が気に入らないのであれば、そんなブログなど無理して読まなければいいだけの話です。
別に読むことを強要されたわけでもなければ読む義理も義務もないのに、まして投稿者が身を削りながら残したものを読む対価として一円の報酬すら払っていない(そのような人からの対価などは受け取りたくもないとしても)、身内でも親族でも雇用主でも上司でも何でもない、どこの誰かもわからない赤の他人が、「あんたのルールが気にくわない」などと騒ぎ立てるなど、まったくのナンセンスです。
そもそもここは私のフィールドであり、自費でサーバーを借り、ドメインも購入して運用している場所です。
その私が転載や引用、スクショ、魚拓を保存されるのが嫌だといっているわけですから、それに応じるのが嫌なのであれば、無理して読む必要などないのです。もうこのブログにアクセスしなければいいのです。というか、そんな人に来て欲しくなどありません。一切私に関わらないでください。
私が転載・引用しているものについて
また自分のコンテンツは転載禁止としながらも、私自身が他の方のブログ記事や画像を引用させていただくことも多々あります。それに関する矛盾については、以前から注意書きに記載しています。
また、私が引用したものが迷惑であり、削除して欲しいと要望があれば速やかに削除をしますと、以前から明記しています。

ただしこの申し出は、私がその情報を重要だと感じ、引用させていただいたものに限ります。私への侮辱や誹謗中傷への反論、反撃として使用しているスクショ等に関しては一切応じるつもりはありません。
勝手な思い込みで私を陥れたり、理不尽な工作員認定をする人物によって傷つけられた私の名誉を回復する必要が、私にはあるからです。
一切を転載禁止とする理由
ではなぜ私が「転載禁止」の措置を講じているか、その理由をもう少し詳しく説明します。
このブログ内の画像や文章が引用または転載された場合、私がその箇所を修正や削除した場合でも、第三者によって元の状態のまま残ってしまい、その内容に関することで他者に不利益を与えてしまう状況がネット上で永久保存されてしまう懸念があるからです。
あとから画像や動画を修正したり削除したとしても、他人が勝手に使用している場合は、修正も削除もすることができません。
また、画像や動画などから住んでいる場所を特定され、私がいなくなったあとに娘が危険に晒される懸念もあります。
娘を危険に晒したくないと思う親の気持ちさえ踏みにじる行為を、私は容認できません。子供を持ったことのある親ならわかるはずです。子供を育てる大変さが。
軽い気持ちで引用している人に問いたい。
我が子を危険に晒し、あるいはそれが原因で、心ない誹謗中傷に晒されるかもしれない状況のまま、自分が先立つことがどれほど心残りか、わかりますか?
それなら最初から画像や動画なんて投稿しなければいいではないか
と、そのような人達は言うでしょう。
ではどうやって被害を証明するのですか?
少なくとも私にとって、画像や動画は最大の武器なのです。その武器なしに戦うことはできません。そしてその画像や動画を転載、引用したり、悪用するのを、著作権所有者である私が「やめて欲しい」と言っているのです。
リスクを犯しながらも、被害解決のために画像や動画を投稿している私の気持ちなどまったく考慮しないような人に、私がネットにあげたものを勝手に使用されたり悪用されることが嫌だと言っているのです。
だから
「一切の転載を禁止する」と明記しているのです。
スクショ・魚拓禁止も同じです。

法的に問題がないなら文句は言えないだろう、自分は他人のコンテンツを引用するくせに、自分の投稿したものは引用を禁止するなど自己中心的すぎる
などと非難する人物もいますが、自分がこの世を去ったあと、不本意な形で永久にネット上に残ってしまうことが嫌だからやめてほしいという著作権所有者の意志さえも尊重することができないような人間の手に渡ってしまえば、どのように悪用されるのかもわからないのです。
普通に考えて、同じことを自分がされたら嫌だと思うはずです。自分が心を許している相手ならまだしも、敵対している人間であれば「死人に口なし」をいいことに、あらゆる歪曲や捏造によって悪者に仕立て上げられて、死後も延々と叩かれ続けることになるのです。そんなことが許せるでしょうか?
「デジタル遺品」をすべて削除したいと思う人の割合は7割

自身の死後、「デジタル遺品」であるメッセージアプリやSNSの投稿を遺したいか・削除したいかを各サービスごとに聞いたところ、「すべて削除したい」と回答した割合は、「Twitterの投稿」(76.4%)、「TikTokの投稿」(76.7%)、「LINEなどのメッセージアプリの投稿(メッセージ・タイムラインなど)」(68.2%)、「Instagramの投稿」(67.5%)と、提示した全サービスで「すべて削除したい」が約7割を占めた。
自分の死後、SNSなどの投稿を全て削除したいと願う人が7割を占めたということは、多くの人が、「死後には何も残したくない」と思っているわけです。
せめてその意志は最大限尊重されるべきものと思います。
たとえネットに公開されたものであったとしても、それぞれのコンテンツの作成者がいて、自分の時間を割いて苦労しながらコンテンツを投稿しているからこそ、ネットで検索すれば自分の必要とする情報を得ることができたり、参考にしたり、利用することができるわけです。
そうであるなら、せめてコンテンツ作成者への敬意や感謝を忘れずに「利用させていただく」という意識は、最低限必要ではないでしょうか?そして制作者の意志や要望、そのコンテンツを作成した趣旨は最大限に尊重すべきだと思うのです。
それが例え自分にとっては気に入らない内容であったとしても、です。
「自分が気に入らないものは書くな」
「批評のための引用という法的権利と大義名分があるのだから好き勝手に使って何が悪い」
という意識でネットを利用しているなら、考えを改めたほうがいいのではないでしょうか?
少なくとも私は、そのような意識でネットを利用している人物に自分が残してきたものを無断で使われることに対して、言いようのない嫌悪感を抱いてしまうのです。
またそのように主張しながらも、私自身、決して模範的な引用をしてきたとは言い難く、反省すべき点は多々あります。
だからこそ、自分がこの世を去るときは全てを消去して、一切迷惑のかからないようにしておきたいという気持ちから、「一切の転載を禁止する」と書いているのです。
そのような気持ちを汲むこともなく、上辺しか見ていない浅い認識のまま
身勝手だ、自己中心的だ
などと私を非難するのはまったくの的外れです。
せめて他の方々には同様のことをしていただきたくないため、この記事を大幅に書き直した次第です。
動画を盗用されたり文章を丸パクリされていることに気付いた時の嫌悪感
これまでにも私は、Youtubeの動画を盗用されたり、説明文を丸パクリされたりなど、数え切れないほど嫌な思いをしてきたので、ついきつい言い方になってしまうのですが、私を非難し続ける人はそのような事情も知ろうともせずに、妙な理屈をこねくり回して私を傷つけ続けるのです。
ですが、自分に置き換えて想像してみてください。
見ず知らずの赤の他人が、まるで自分の作成した動画であるかのような顔をして、コピーした動画を自分のチャンネルに投稿しているのを知ったときの気持ちを。それがどれだけ気持ちの悪いことなのかを・・・。
それで私が「全てを削除する」などと言えば、今のうちにと、記事や動画をダウンロードする人もいるかも知れませんが、そういうのも本当にやめてください。
被害の解決の為に使うならまだしも、さほど交流もなく、被害解決に尽力するでもなく、何か私の為にしてくれた訳でもない人が、情報だけ持ち去るのは甚だ厚かましく、また極めて卑しい行為です。恥を知っていただきたいと思います。
パクツイや動画の盗用などを常習的に繰り返す人は、コンテンツ作成者の苦労など知らずに平然と盗んでいきます。
そもそも“他人から盗むだけで、自分では何も作り出さない人”というのは、いつまで経っても実力が身につかず、こっそり盗むか他人の真似をするのが精一杯。その人のオリジナリティなど微塵もなく、盗むかパクることでしか自分の存在感を示すことができない人です。そしてそんな人を私は心の底から嫌悪しています。そういう人が私の残したものを掠め取って行くのが我慢ならないのです。
これまでに私が、言葉にできないほどの悔しさを噛みしめながら、時に心の中で血の涙を流しながら残してきたものを、まるで“自分の成果物”であるかの様に自身のアカウントで公開し、何ら後ろめたさも感じないような人がいることが本当に信じられないのです。
それと、後から間違いに気付いて修正しても、修正する前のものが転載や引用されていると、その間違いがずっと残り続けてしまうのです。それによって“社会的な混乱”を招く可能性もあります。
そうした理由から転載は一切しないでと言っているにもかかわらず、平然と転載や盗用して憚らない人間がいることが、ただただ嘆かわしいばかりです。
引用の要件を満たしていないものは著作権侵害となる
また、「批評」のための引用という体裁をとってはいるものの、「非難や中傷目的で転載されたもの」が、所有者である私が自分のコンテンツを削除したあとも残り続けることは、「反論できない相手」に対する冒涜でしかないと思います。
ご自分が同じことをされたらどう思うでしょうか?
事物の美点や欠点をあげて、その価値を検討、評価すること。
批評の基本は判断であり、判断は事実判断から価値判断へ、換言すれば真偽・黒白の判断から優劣・長短の判断へと向かう。前者に傾くと「客観批評」となり、後者に傾くと「主観批評」となるが、主観批評は傾きすぎれば独断となる。客観批評と似て非なるものに「裁断批評」があり、これは外的な基準を設け、それに照らして判断する批評方法である。
物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。
良い点も悪い点も同じように指摘し、客観的に論じること。※抜粋して引用
「良い点」は一切評価せず、「悪い点」のみに焦点を当て論じているものを「批評」とは呼べません。それはただの悪口であり非難であり否定であり攻撃です。
しかもこの場合の「悪い点」は、自分にとって不都合であったり、自分の主観や歪曲、捏造による「悪い点」認定であったりするのです。
ゆえに「批評」や「批判」ではなく、「非難」や「攻撃」、「誹謗中傷」によってその記事が構成されている場合、およそ引用の要件を満たしているとは言い難いのです。
著作権法では,一定の「例外的」な場合に著作権等を制限して,著作権者等に許諾を得ることなく利用できることを定めています(第30条〜第47条の8)。
これは,著作物等を利用するときは,いかなる場合であっても,著作物等を利用しようとするたびごとに,著作権者等の許諾を受け,必要であれば使用料を支払わなければならないとすると,文化的所産である著作物等の公正で円滑な利用が妨げられ,かえって文化の発展に寄与することを目的とする著作権制度の趣旨に反することにもなりかねないためです。
しかし,著作権者等の利益を不当に害さないように,また,著作物等の通常の利用が妨げられることのないよう,その条件は厳密に定められています。
また,著作権が制限される場合でも,著作者人格権は制限されないことに注意を要します(第50条)。
なお,これらの規定に基づき複製されたものを目的外に使うことは禁止されています(第49条)。また,利用に当たっては,原則として出所の明示をする必要があることに注意を要します(第48条)。
※太字は引用者
たとえ引用であっても、「著作権者等の利益を不当に害さないように,また,著作物等の通常の利用が妨げられることのないよう」条件を守る必要があるのです。
「著作権が制限される場合でも,著作者人格権は制限されないことに注意を要します」
引用だからといって、なんでも好き勝手に転載していいわけではありません。良いところも悪いところも評価するのが「批評」「批判」なのですから、最初から「欠点」を指摘するだけ、あるいは非難や糾弾するだけのものであるならば、もはやそれは極めて主観的なものであり、個人的な私怨を晴らす目的での著作権侵害でしかありません。
例え引用の要件を満たす場合であっても、「著作者人格権は制限されない」のですから、著作者の人格を傷つけるような目的での引用は認められないはずです。
また引用には出展を明記するルールがありますが、それすら守らずに引用しているのであれば、それは明確に著作権侵害となります。
(4)出所の明示がなされていること。(第48条)
引用をしたときは、「どこから引用してきたか」をはっきり示さなければなりません。
例えば、他人のブログ・Webサイトから文章を引用してきたときは、「サイト名(タイトル)」に引用元のリンク先を設定しておくのがいいでしょう。
つまり
引用のルールを守らずに無断転載している場合は著作権侵害・盗用になる
これを忘れている人がとても多いと感じます。下記サイトにとても分かりやすくまとめられていますので、「引用して何が悪い」と開き直っている方におかれましては、特に念入りに目を通していただきたいと思います。
Webページ
ウェブページで特徴的なのが、最終アクセス年月日です。ウェブページではコンテンツの更新が行われ、内容が変わることがありますので、明記する必要があります。
著者名(運営主体)、「ウェブページのタイトル」、
例)
科学技術振興機構「科学技術情報流通技術基準―参照文献の書き方―」
(中略)
画像
画像については、イラストや写真については、引用が難しくなります。出典を明記したとしても、引用のルールに当てはまらない場合は、著作権の侵害のおそれがあります。引用が許可されていないものについては、著作者の同意が必要になりますので、画像の引用は注意してください。
画像の出典は、予め貼り付けられている場合もありますが、それでもクレジットは入れておくべきです。写真であれば、撮影者、イラストであれば作者を明記します。スクリーンショットなどは、下のWebでの出典の書き方を参照して下さい。
例)
photo:CorVos
(中略)
Webでの出典の書き方
WebからWebに引用する場合は、出所を明確にするため、URLの表示が必要です。URLをそのまま載せてもいいですし、サイト名にリンクを貼ってもいいです。ほとんどのウェブサイトでは、後者になっています。パワポやワードで作る資料も、この形式が多いです。
例)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/参考文献
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典の書き方まとめ
- 出典は引用元を明示すること
- 引用のルールを守らないと、盗用になる
- 出典のポイントは、著作者と文献等へのアクセス
- 英語の著作名はイタリック体で表示
- 引用すれば、パワポやワードで作る資料も対象
- 画像、グラフも出典を明示する
引用のルールを守らないと、著作権侵害になりかねません。
私も決して正しい引用が出来ているとは言い難いとしても、最低限、URLの表記とリンクの設定は遵守しているつもりです。(リンク切れはその旨記載)
逆に、引用のルールすら守れていないのに、「引用だからいいのだ」などと開き直る人のサイトに書かれている内容が、果たして本人の主張するように「正当性を担保」しているのかどうか極めて疑わしいと言わざるをえません。
サイト名やチャンネル名を画像に記載しているだけで(しかも伏せ字を使ったりもする)、タイトルもURLも明記せず、リンクすら設定していないなど、極めてモラルに反する行為を常態的に繰り返す人に引用されても平気だという著作権所有者がどれだけいるでしょうか。
こうした理由から、引用ルールさえ守れずに無断転載を繰り返し、平然と私の著作権を侵害している人物がいるのなら速やかに削除してください。

もし削除に応じていただけない場合は、“別の方法”でお願いすることになるかも知れませんが・・・。?
何はともあれ、私がこれまでにネットに公開して来た一切のコンテンツの使用を固く固く禁じることを、改めてここに宣言しておきます。
ただしその宣言に拘束力はありません。あくまでも私の意思表示であり、私の意志を尊重してほしい、尊重できない人はこのブログに来てほしくない、という要望でしかありません。
しかしそれを「自分の権利だから」と、あっさり無視するのであれば、それはその人の人間性を如実に反映したものだと言えるのではないでしょうか。
個人(故人)が何の見返りも報酬もなく、限りある自分の時間やリソースを消費しながら生み出してきたものの数々を、「批判する権利」などと称して踏みにじる行為こそ、私は恥ずべき行為だと思います。
私という不完全な人間の残した不完全なものだからこそ
かくいう私も決して褒められた人間ではなく、欠点の多い人間ですから、ブログやツイッター、動画などで、気付かないうちに他の方々に迷惑を掛けてしまっていたと思います。
だからこそ、もう自分に残された時間が少ないとわかった時には、私自身の手で全てを削除したいのです。
妙な使われ方をされるくらいなら、全てを消してしまった方がいいのです。
そして私が他の方の著作物から拝借したスクショなども全て削除して、迷惑のかからない様にしておきたいのです。
私は何も残さずこの世を去りたいのです。
せめてその意志だけは尊重していただきたいと思います。
立つ鳥 跡を濁さず・・・。
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