
一連の騒動で、スピリチュアルを批判する事に対しても批判をいただきましたので、ある記事をご紹介したいと思います。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
とても共感できる内容でしたので、ぜひお読みになってください。
今回、紹介させていただくのは、こちらのサイトです。
私の心の中のモヤモヤを、明快に、そして軽快に語って下さって、本当に痛快。スッキリしました。
「自分達は覚醒している」「世間の盲目な羊たちと違って私たちは世界の真実を知っている」などと臆面もなく言い放つQアノン(Jアノン)たちにこそ、この記事を読んで欲しいと思います。
実は私自身も、かつてはスピリチュアルに傾倒していた時期があり、こうした世界感を受け入れられない人、他人を批判したり非難する人は波動の低い残念な人、という様な、傲慢な人間になってしまっていた時期があります。
そして自分の世界観を否定してくる人に対して、三次元というレベルの低い世界に生きている人、目に見えるものしか信じる事のできない頭の硬い可哀相な人達、という上から目線の意識がどこかにあった様にも思います。
その後、スピリチュアルに嵌りすぎると、自分でも知らない間に、そうした不遜な考え方が定着してしまう危険性を、次第に認識するようになりました。

また、目に見えないものや世界を信じられないのは精神性や霊性が低いからだと切り捨てる一方で、そうしたものを盲信してしまう事は、逆に人生を踏み外してしまう事につながる為、自分もスピリチュアルから離れると同時に、スピリチュアリズムの落とし穴についても警告する側の立場になりました。
未だにスピを否定すると、目くじらを立てて反発される方が多い様に思いますが、そうした方は、ご自分がこの様な精神状態になっていないか、もう一度冷静に見つめ直していただけたらと思います。
洗脳されたり、マインドコントロールされているかも知れません。スピ系に限らずネットで誰かのブログを読む時も、こうした罠があちこちに仕掛けられていますから、十分ご注意ください。表向きには宗教の気配が巧妙に隠されているのですが、実はどこかの宗教と繋がっている事が往々にしてあります。そして、特定の思想や信仰に誘導されて、そこから何かを購入させたり、講演会に申し込みさせたり、様々な出費が続く様になったら、警戒してください。
いくら耳障りの良い事を書いてあったとしても、それは高額な商品を購入させたり申し込みをさせる為の入り口でしかないと私は思います。一般的には霊感商法と言われています。
あるいはそこに集まってくる人で仲良しコミュニティを作って、こっそり信者にするという狙いも隠されているのかも知れません。
ネットも危険がいっぱいです。時々自分を振り返る事は大事ですね。
スピリチュアルサイトによく出てくるフレーズ
無条件の愛
執着を手放す
ジャッジしない
地球を愛と光の波動で満たす
不幸な人達の所に愛の想念を送る
こういう事が毎回の様に書かれています。
そしてそれを熱心に読んで、自分はスピリチュアルな人間だと思い込んでいる人が、他人からちょっと批判されただけで逆上したり相手を罵倒したり嘲笑したり、仲間内で陰口を言い合うのって変じゃないですか?愛の足りない人には愛を送るんじゃなかったの?ネガティブな事に執着せずにすべてを手放すんじゃなかったの?
なのにやっている事は全く正反対。そんなのぜんぜんスピリチュアルな人じゃない。
私は、自分には無理だとわかったので、さっさとその世界から飛び出しました。ああいう人達のコミュを見ていると、妙にお互いに褒め合ったり持ち上げたりおだてたり、なんだかそう言うのが性に合わなかったし、そういう中に入りたいとも思わなかった。疲れるだけだと分かっていた。なんかあのテンションというか独特の雰囲気に嫌悪感も感じていた。まあ、それが好きな人はそれでいいんでしょうけれど。
人によく思われようとか、優しい親切な人に見られたい為に、自分を偽ったり、取り繕って生きたところで、結局何も残らないじゃないですか。取り繕うのが苦手な私は、どんなに影で馬鹿にされようとも、ありのままの自分でしか生きられない。
それに、思いっきり素の自分で生きる事でしか、本当に生きたとは言えないんじゃないでしょうか。ただし、他人に迷惑を掛けたり、苦痛を与えたり、犯罪を犯さない範囲で。↑これをやるのが集スト加害者ですね。
いずれにしもて、スピリチュアルと聞けばそれほど危険なイメージは浮かばないかもしれませんが、QAJFなども含め、ほとんどカルト宗教と変わらない怪しいスピ系団体や教祖さまがわんさかいますので、くれぐれもご注意を。
同サイトより