「子どもの声がうるさい」住民の苦情で公園廃止騒動 “暴走市議”と偏向報道に煽られるステレオタイプな人々

1軒の住民から「子どもの声がうるさい」と苦情が出たことで、子どもの「聖域」である公園(青木島遊園地)が廃止されることになり、ネットでは非難囂々雨あられ状態ですが、予想通りの展開とは言え、義憤に駆られて「けしからん」と沸き立っている方々に一言もの申したい。あまりに単純で短絡的しすぎじゃないですか?と。

※本ブログは個人の見解に基づいた憶測や推測を含みます。不確実、または間違った内容が含まれる場合もありますが、報道機関やプロのジャーナリストではない個人のブログですから、正当な批判の限度を超えた非難や誹謗中傷、人格否定、人身攻撃等は厳に控えてください。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
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我慢を強いられる側の痛みを想像する優しさを失い暴走する社会

子どもが外で伸び伸び遊ぶことは喜ばしいことですし、成長の上でも必要不可欠なものでしょう。それはわかります。誰も子どもが外で遊んではいけないなどと思っている人はいないはずです。

しかし、世の中にはとんでもないレベルで常識を逸脱し、受忍限度を遙かに上回る迷惑行為をする子どもやその親たちがいるのです。悲しいことに。

私もそのような迷惑行為(を装った嫌がらせ)の被害者ですから、その苦しみは人一倍理解できるつもりです。

そもそもこの件で、苦情を申し出た住民の方は、18年間もひたすら我慢されていたのです。そして子どもの声だけが理由ではないにもかかわらず、「一人のクレーマーからの“子どもの声がうるさい”という苦情で公園が廃止になった!」と、事実確認もしない人達から一斉に非難され、ネット内外で壮絶なバッシングをされています。その心労たるやいかばかりかと察するに余りあります。

しかも当のご本人は公園の廃止までは望んでいなかったようです。ご本人も廃止になったことに驚かれていたとのこと。

苦情を寄せた住民はNBSの取材に…

苦情を寄せた住民:
「18年間毎日、私たちも我慢してきた。私たちは廃止にしてくださいとは言っていない。児童センターが決まった時間に外に出て拡声器とか使って、みんなを遊ばせている、そういったことに対して言った。使い方をちゃんと考えてくださいと言った。廃止決定はびっくりした」

「吹き上がっている」というワードは、自分が言われるとカチンとくるのであまり使いたくはないのですが、「公園を廃止に追い込むなんてけしからん」と吹き上がっている人達は、18年も我慢してきたご夫婦の心情やご苦労に、ほんの少しでも思いを馳せようともしない。

もし自分がその立場だったらと想像力を働かせる知性もとい、優しさすら持ち合わせてはいないのですか?

辛辣な物言いになりますが、そのくらいこの騒動は馬鹿げていると思います。

公平さを欠いたマスコミ報道

当初からマスコミの報道はあまりにも一方的なものでした。

たった1人の「子供の声がうるさい」という意見で廃止になった長野市内の公園。市に対して意見を言っていたのは大学の名誉教授だったことが週刊ポストの取材で明らかになった。その1人の声で、子供の遊び場である公園を閉鎖した市の対応には疑問の声があがっている。

たった1人の「子供の声がうるさい」という意見で公園が廃止に!

そのキャッチーなコピー(文言)だけがクローズアップされ、一人歩きして炎上し、

「公園を廃止に追い込むとは何事だ!」

と憤慨した人達による猛烈な非難が噴出し、やがて個人特定へと暴走し、本当に恐ろしい事態になっています。

しかも個人特定を煽っていたのは、このポストセブンの記事で取り上げている市議会議員です。※後述

殆どの新聞や週刊誌の記事は、申し訳程度に住民の主張を載せてはいるものの、最初から炎上させる意図が見え見えじゃないですか。

大体、タイトルしか見ないで騒ぎ立てるような人達が大半のご時世で、こんなタイトルを付けたら、盲目的に、そして脊髄反射的に“吹き上がる人”を量産するだけでしょうに。

あの「騒音おばさん」の報道の酷さを彷彿とさせる今回の公園廃止騒動を見るにつけ、なんでこんなに扇動されやすく短絡的な人が増えてしまったのかと嘆かわしく思います。これはSNS時代の弊害の一つかもしれません。

私も決して偉そうなことは言えない人間ですが、言論空間に及ぼす「負の影響力」を考えることもなく、無責任に正義を振りかざす有名人や著名人、芸能人、そして公平さを欠いたタイトルに扇動されるがままに誘導されてしまう人の多いこと。

マスコミは重要な情報源であるとともに、洗脳装置でもあるため、無批判に受け入れるのはあまりに危険です。

デイリー新潮が住民の反論を記事にしています。

※もっと詳しく知りたかったので、文春の雑誌(Kindle版)を購入したのですが、180分の取材にしては内容がペラペラでした。ここに書かれているものに嫌がらせの内容が少し加わった見開き1ページ分しかなく、180分の取材内容がもっと細かく書いてあると思って購入したのに、なんか騙された気分です。?(2022/12/15)

下のNHKの記事は、かなり公平な視点で書かれています。ぜひ読んでください。背景も知らずに上級国民がーーと騒いでいる人達がいかに稚拙で短絡的な発想でこの問題に便乗しているのかがわかると思います。(2023/1/7)

火付け役は「たった一人の長野市議」と立憲民主党杉尾議員

さらには、アクセス稼ぎ目的の便乗Youtuberらが、

「苦情を入れたのは大学教授だった」

「上級国民だから自治体が忖度した」

などと、陰謀論を流布している始末。

というか、火を付けたのは小泉一真という長野市議でした。

どうやらこの市議が杉尾議員に吹き込んでそこから全国放送という流れになっているようです。末尾のツイートを参照ください。

一昨日、この公園問題を報じたある動画を探していた時に、「クレーマーは上級国民だった!」とか、「たった1人の住民の苦情で・・」と言ったタイトルの小泉市議の動画が何本も出てきて辟易しました。

まるで「子どもの権利を守る正義の市議」気取り。

しかもこんな子供じみた嫌がらせを扇動していたのです。これはさすがに酷い。

   

苦情を申し立てた人物の特定を煽っているかのような言動は、市議として到底許されるものではないと思います。

「原因は不明」じゃないでしょうに。

Google mapを個人特定に悪用し、政治的利用し、それをフォロワーに呼びかけていた(けしかけていた)のは一体どこの誰ですか?

これがその張本人の言葉とは、とても信じられません。下でご紹介する北沢てつや市議とは雲泥の差ですね(もちろん悪い意味で)。

市や長野市長も

男性への誹謗中傷は絶対にやめてほしい

と呼びかけていますが、もし、血の気の多い「善意の第三者」が暴走して、苦情を申し立てた住民に何かあったら、責任取れるのでしょうかね。

今頃になって動画を非公開にしているようですが、今さら非公開にした所で手遅れです。軽率にもほどがあります。あまりにも思慮と配慮に欠けた身勝手な言動の数々は到底看過できません。

こちらの動画、ぜひご視聴ください。経緯を丁寧に説明されています。

「子どもの声がうるさいとは何事だ!」と直情的に、また短絡的に憤慨する人で溢れかえっている中、冷静な情報発信をされている姿勢には大変好感が持てます。無責任に一般人を煽る政治家ではなく、北沢市議さんのような誠実な政治家の方がもっと増えてほしいと願うばかりです。

ツイートで紹介されていた動画です。いかに今ネットで騒いでいる人達の主張が実態とかけ離れているのか、的外れなのかがよくわかります。

※この記事を書いた当時は、こちらのYouTuberの方(失敗氏)を好意的に見ていましたが、ある方への中傷などを始めたことで、一気に信用を失いました。この箇所は削除しようかと思いましたが、このまま残しておきます。

明らかに目的外使用だった。

この解説でぐうの音も出ないと思います。煽っていた人達はすっとぼけないで、きちんと謝罪と反省と訂正をしてくださいね。

と期待するだけ無駄のようです。この動画に小泉市議本人がコメントしていました。なんですか?このふざけたコメントは。散々「上級国民」と煽っていた張本人なのに。

追記します。このような注意を受けたようですね。

長野市議会の寺沢さゆり議長は28日、子どもたちの遊び方や騒音への住民からの苦情をきっかけに廃止が決まった青木島遊園地(同市青木島町)をめぐり、個人の特定につながる情報を発信したことは不適切だったとして、小泉一真市議(56)を書面で厳重注意した。

 27日の議会運営委員会で小泉市議は、「公益上の必要性があると認識していたため」と投稿の理由を説明した。その後、「児童の心身のリスクとプライバシー保護の均衡を考慮した結果、非公開相当と判断した」という。

にもかかわらず、Youtubeで削除しないからOKなんだとかいう謎理論で、また公開にしたようです。

まぁ、この議員さんには何を言っても無駄ですが、物事は、右から見た時、左から見た時、上から見た時、下から見た時、斜めから見た時、それぞれ見る方向によって「違う現実」が見えるのですから、一つの角度から見える答えがいつもいつも正しいわけではありません。

なのに、ステレオタイプな価値判断基準で誰かを悪者にして叩く世の中は、とても異様で異常な社会だと私の目には映ります。殺伐とした容赦のない冷酷な世の中だと感じます。そんな〇みたいな社会で大人が愛情豊かに“伸び伸びと”子どもを育てられるとはとても思えません。

そんな世界に、みなさんは住みたいと思いますか?

【騒音で人が死んでいる】騒音は時に凶器にもなる

今の社会は、子どもを必要以上に神聖視し、子どもは国や地域の宝だとする考え方こそ正しくて、そこから外れる価値観は悪であるかのような固定観念と先入観を持つ人が主流であり市民権を得ているように思います。だからこそ、今回の「公園(実際は遊園地)廃止」が大きな波紋を呼んでいるのですよね。

「子どもの声がうるさいとか言う奴は、自分が子どもの頃のことを忘れたのか?」などという、一見尤もらしい意見もありますが、昔は今以上に、子どもが騒いでいれば、怖い親父が出てきて怒られたという話も見聞きしますし、そのような主張はどこかずれていると感じます。しかもそのずれた意見を言っているのが高名な「脳科学者」だったりするのですから、なにか世紀末のような空恐ろしさを感じてしまいます。

そもそもこの問題(騒音及び迷惑行為及び目的外使用)と少子化は全く別の問題なのに、それをごっちゃにしてイキってしまっている恥ずかしい方。クレイジーでノイジーなのはあなたでは?

「図体だけが大きいガキ」などという暴論も酷いものですが、その「安全基地」になるべき大人の精神が、無法地帯と化した公園利用者によって破壊されてしまったら、誰が子ども達の「安全基地」になるのですか?本末転倒です。こんなことも理解できないあなたは、一体何の研究をされてきたのでしょう?

「人間というのは自分の歪みにはなかなか気付けない見本」のような方ですね。

子どもであろうと何であろうと、誰かの人権を侵害していいということにはなりません。受忍限度内であれば我慢も必要ですが、無制限に騒いだり迷惑をかけていいということではないのです。何か履き違えている人達が、論破した気になっているだけ。あるいは「自分は子どもの健やかな成長を願う善良な人」という自画像に自己陶酔し、脊髄反射的に集まる賛同の数で承認欲求を満たし、溜飲を下げているだけ。(にしか見えません)

また、世の中には少数ではあっても、子どもとその保護者らから多大な不利益を被り、人間として最低限の文化的な生活を送ることすらままならない人達がいるのです。

いわゆる集団ストーキング被害者や、様々な騒音被害者の人達です。

それらの人達は少数派だから、見捨てておけばいいのでしょうか?

それらの人達には人権はないのでしょうか?

子どもの権利のために自由や人権を制限されながら、苦情も言わずに黙って我慢し続ければ良いのでしょうか?

何があっても子どもを優先しろというのは、一種の強要であり、価値観と忍耐の押しつけです。なのに良識人ぶってネットでドヤ顔で発信している有名人達の浅はかさには絶句するばかり。あなた方は知らないのですか?

人は騒音で死ぬということを。

騒音で人が死んでいる

 まず札幌市を対象にした騒音、交通騒音の健康影響について見てみたい。札幌市で環境要因でもっとも人が死んでいるのは騒音だ。騒音で人が死ぬというメカニズムは風車騒音も共通している。この交通騒音の健康影響というのは世界的に、とくにヨーロッパでは常識になっている。

(中略)

 二番目が実は交通騒音(500~1,000)だ。粒子状物質とはひと桁違う。一方、最近豊洲で話が出てきたベンゼンは2~4で、さらに桁がちがう。ホルムアルデヒドは0~2。交通騒音は粒子状物質に次いで二番目に高いのだが、よくマスコミをにぎわすのはベンゼンとかダイオキシン、ホルムアルデヒド。実際には交通騒音はそれより三桁ぐらいリスクが高い環境要因である。

 従来、騒音は不快感を及ぼしたり生活妨害を起こす環境要因にすぎないと主張する人が多い。しかし現在WHOをはじめ騒音の健康影響を研究している者の常識は、「聴取妨害は不快感を及ぼすけれども、睡眠妨害はさまざまな身体的健康影響を及ぼしている」というものだ。

 WHOの資料だが、複数の地域で住民を対象に道路交通騒音と心筋梗塞の発症リスクとの関係を調査した。騒音が80デシベルで1・5倍になっている。つまりその地域に住んでいると、他の地域よりも1・5倍、心筋梗塞の患者が多い。増えた分の50%は騒音が心筋梗塞の発症につながっている。日本の騒音の環境基準は、三大死因の一つである心筋梗塞の患者が15%増加するところに設定されており、けっして住民の健康を保護していない。これが騒音の環境基準の現状だ。

 札幌市でこのWHOの計算方法をそのまま用いて試算した。毎年45,000人(札幌市の50人に1人)が道路交通騒音で軽度の睡眠障害を起こし、毎年150人が道路騒音で心疾患を発症し、そして毎年20人が道路騒音による心疾患で死亡することになる。これを札幌市の主要道路周辺に限って見てみると、道路交通騒音による生涯死亡リスク(死因)は100人に1人。これはとんでもなく高い数値で、たとえばベンゼンの環境基準は100,000人に1人の生涯死亡リスクを採用している。

 他の死因と比べてみた。札幌市の各種年間死亡率で見ると、道路騒音による心疾患で100,000人当たり毎年30人が亡くなっている(高い数値の場所)。もちろん一番多いのはがんで、100,000人当たり年間278人、脳血管疾患で71人だ。しかし不慮の事故23人、自殺22人、腎不全21人よりも騒音で亡くなっている人の方が多い。低周波音も同様に危ない。このことが余り知られていない。

※抜粋して引用。強調は引用者

公園に迎えに来る保護者の車の数も相当なものだったようです。冬や夏場などは、それらの車が一斉にアイドリングをしていれば、その騒音だけでなく排気ガスの被害も相当なものだったでしょう。

そのような事情など一切考慮することもなく、「子どもの遊び場を大人が奪うとは何事だ!」と声高に叫んで恥じることもなく、また自分の価値観を疑うこともない人々。

そのような価値観を押しつけ、少数派の人権を蔑ろにする社会こそ病的だと私は思います。そのような価値観を押しつける人達が、本当に子どもの成長を考えることのできる寛容な大人達なのでしょうか?

誰かが苦しんでいるのに自分達が思いきり遊べたらそれでいいのだと、誰かの痛みに鈍感な大人になってしまうのではないかと心の底から危惧します。

「たった1人のクレームで」と沸き立っている人達こそ、子どもの権利は声高に叫ぶ一方で、忍耐に忍耐を重ねた末、それでも苦情を言わなければならないほどに追い込まれた者の痛みには酷く鈍感で、不寛容な人達なのではないかと私は思います。

偏向報道で湧き上がる中、こちらの記事には好感が持てました。

こちらのブログ主さんの考えに激しく同意です。

下の記事もぜひお読みください。いかに今回の騒動が一人の心ない市議によってでっち上げられたものかがわかります。

問題の公園がある長野市の青木島というところは、比較的新しく開発された地域で、そのため公園、遊園地はたくさんある。
ここでひとつ問題なのは、市の行政ベースの考えでは、遊園地と公園は別に仕分けされている。だが、子供たちや市民、さらにはマスコミにとっては同じもので区別はない。
市の担当者も北沢市議もその視点で問題を説明しているので、そこに関心がないマスコミは、そこをすっ飛ばして、世間受けしやすい記事の作り方をしてしまっている。

青木島遊園地が廃止になっても近くの別の公園に行けばいいだけ。
ひとりの意見で行政が捻じ曲げられたような話になっているが、そうではない。

市役所に意見を言った人は誰ですか?と市は質問されたので、代表のような形になっている「大学名誉教授」が意見を言ったのは事実なので、そうマスコミに答えたら、「1人の意見で公園が廃止になった」ように報じられている。

※下線は引用者

一市民に「上級国民」のレッテルを貼り、事実をありのままに脚色なく真摯に伝えるでもなく、物事の一面を切り取って盛大にネットリンチを仕掛ける。心の底から恥ずべき議員だと思います。私も長野県民ですが、まさに長野の恥、あるいは長野の「反知性」ではないかと思います。

関連ツイート・逆方向からのネットの声

まとめサイトがよく使う「ネットの声」というワードはあまり好きではないのですが、苦情を入れた住人の方を一刀両断に切り捨て非難する声ばかりが大きく取り沙汰されていますので、今回はあえて逆方向からの「ネットの声」として使ってみました。不快に思われたら申し訳ありません。m(. .)m

他の方々のツイートが素晴らしすぎて、大量にお借りしてしまいましたが、引用がご迷惑な場合はツイッター経由でお知らせいただけたら幸いです。コメント欄はスパムが来るため解放しておりません。m(. .)m

こちらのゆかぴんさんのスレッド、ぜひ展開して最後までご覧ください。

やっぱり立憲共産党あたりが絡んでいるのかも。今話題のcolabo同様、左翼が絡むとほんとろくなことがない。

あの議員だけは当選させてはいけなかった。

ということで今回も長くなってしまいましたが、短絡的に直情的に憤慨している人達で溢れる中、このYahooのコメント欄に救われた気がします。

いくつかスクショお借りします。

コメントの殆どが苦情を入れた住民に対して同情的なものでした。逆に小泉市議に賛同する意見にはBad評価が多いことが数値化され、より可視化されてしまいました。

これが真の民意であり一般的な感覚でしょう。

Youtuber崩れのような市議が焚きつけて、オウム事件での偏向報道をやらかした国会議員経由でマスコミも巻き込み、全国的に一大ネガティブキャンペーンをぶち上げるつもりが、一転、それらの軽薄な言動と人間性が浮き彫りとなり、「上級国民の理不尽なクレーム」というのはむしろ少数意見であったことが露わになっただけではないでしょうか。

どんなに厳しい状況であろうとも、たとえ僅かであろうとも、この国にまだ良心は残っていると信じたい。



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