
一週間ほど前にツイデモ参加について、主催者の方からお声かけいただき、周知が進むならと参加をさせていただいていたのですが、思うところあって、ツイデモの参加を辞退させていただくことにしました。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
ツイデモ参加後の異常なまでの動員
私は8月1日からツイデモに参加したのですが、数日後から団地住民の奇行が目に入るようになりました。



この「ベランダから部屋に入る」光景は、他の住人ですが、以前にも一度見ています。やはりこういうマニュアルがあるのでしょう。


この親父は11日にも私がここを見た時にキッチンに立っていましたが、その時は下も履いていなかったんです。
2~3年ほど前までは、こうした“奇行”を頻繁に見ていたのですが、最近ではそうした奇妙な行動を見る回数も減り、余計なものを見なくてすむ分、精神的には楽だったのです。
しかしこれはまだほんの“予兆”にすぎませんでした。決定的だったのは8月11日の出来事でした。
その日、窓を開けたまま眠っていると、部屋の中が異様に煙り臭くて目が覚めました。実はその数日前にも数回、朝から漂う野焼きの煙に悩まされていました。
野焼きは原則禁止(条件を満たせば可能)なのですが、いくらなんでもこんな住宅地の中で平然と野焼きをする神経を疑います。その身勝手な野焼きによって、この地域一面が煙に覆われ、どれだけの人が迷惑を被るのかも考えないのですから、世の中には信じられないような非常識な人間がいるものです。

この野焼きの場所を特定して苦情を言うために、急いで着替えて部屋を出たのですが、それから部屋に戻るまでの間の付き纏いは壮絶でした。この時の様子はここには書き切れないので、また改めてまとめますが、ここ1~2年ほどは見ることのなかった、かつての“最盛期”さながらの大量動員に吐き気がしそうでした。
2015年頃から私は殆ど引きこもっているため、どうしても用事がある時以外、外出はしないのですが、たまに外出する時などは付きまといのチャンスとばかりに、いつものストーカー中毒者らが一斉に湧いて出るのです。
けれど私が画像や動画で反撃してきたのが効いたのか、ここ1~2年はそれらの“常習者によるカルト劇場の上演頻度”もかなり減っていました。
ところがこの日(8/11)は違っていました。部屋に戻ってからも、外からはサイレンや暴走族のふかすバイクのエンジン音、子供の奇声と絶叫するような泣き声、ベランダに出るたびにカルト住民や未来部か何かのわざとらしい芝居を延々と見せられて、ほとほと嫌気がさしていました。
11日以前から激化の兆候はありましたが、それにしてもあの短時間によくもまぁここまでやるかというような状況で戻ってきたのに、それに追い打ちを掛けるように、サイレンや爆音、側溝の蓋鳴らし、奇声その他によるアンカリングを怒濤の如く仕掛けてくる集団犯罪者達。

アンカリングとは、「条件付け」という意味です。自殺強要ストーキングでは、日常的に存在する人の仕草、音、物、光等の「条件」を被害者の意識に植え付け、その「条件」によって、場合によっては命の危険さえ感じる「狙われているという意識」を、被害者に持たせます。
自殺強要ストーキング被害報告に多いアンカリングの「条件」は「咳払い」「携帯電話」「同じ色の服」「スモークグラスの車輌」「連番や意味のある数字のナンバープレート」「冷笑」「タイミングよく現れる人や車両」「音」「眩しい光やしつこい光の演出」「緊急車両」「警察車両」「マスク」等です。
そうしたストーカー中毒者の繰り出す付きまといアピールに心底辟易していました。
思い出しては怒りが沸々と湧き上がるような状況が続けば、身体への負担も相当なものとなります。
ストレス状態が続くと、コルチゾールの分泌が高まり、それによって身体に様々な悪影響を及ぼします。
ストレスホルモンであるコルチゾールが高い状態が続けば、骨粗鬆症や高血糖のリスク増大、筋力、記憶力や脳機能、免疫力の低下、不眠、寿命が短くなるなど、非常に身体に悪いことがわかります。私も年齢が年齢ですので、若い頃のように気合いや根性で押し通すには歳を取り過ぎました。
あまり無理をすれば命に関わるような事態になりかねません。まだまだやり残したことが多いのに、そして何より娘とニャンを残してここで命尽きるわけにはいかないのです。
ここ最近の被害の激化がツイデモと無関係でないとしたら、ツイデモが効いている証左なので本当なら続けたほうが加害側にとってはダメージとなるのですが、この状態が続くとさすがに私の身体やメンタルがヤバい状態になってしまうため、申し訳ないのですが離脱せざるを得ないという結論に至りました。
こんな妨害に負けたくはないのですが、体と命あっての戦いですから、致し方ない選択でした。ツイデモからは離脱しますが、これまで通りの自分のペースで、この加害者らの醜い所業を明るみに出し、白日の下に晒す活動は継続していくつもりですので、これからもお付き合いいただけましたら幸いです。
離脱したもうひとつの理由

被害の激化とは別に、私がツイデモを離脱した理由がもう一つあります。
私は古い被害者の方とはほとんど交流がありません。正確に言うと、途中から交流を絶ったり、お互いにブロックしあっているような状況です。
私だけがブロックしているケースもありますが、ブロックした理由も明確に存在していますので、それに関してクレームを付けられる謂われはありません。
どういう理由なのかは、このブログの中にふんだんにヒントが散らばっていますので、それらを読んでいただければ、ご理解いただけるのではないかと思います。
私は理由もなしにブロックはしませんし、他の被害者を批判したりすることはありません。ただし本人(私)は「ない」つもりでも、どこかでそのようなことがあったならお詫びします。また、過去に私はかなりナーバスになっていた時期があります。次々に発生する被害者?間トラブルに見舞われた結果、不信感を募らせ、不要なブロックをしてしまったこともありますが、それについては反省しています。
それとは逆に、後発のアカウントで全く接点もなかった人にブロックされていることも少なくありません。私の物言いが気にくわなかったり、考え方が合わなかったのかも知れませんが、それは仕方のないことだと思いつつ(現に思想があまりにも相容れない人は私もブロックしますので文句は言えないとしても)、一方的にブロックされたままでいるのは気分が悪いため、こちらもブロックのお返しはします。
ツイデモの時間帯になり、多くのハッシュタグ付きのツイートがフォロワーさん経由で流れてくる中で、「このツイートは表示できません」というものを結構目にします。
「このツイートは表示できません」というのは、私をブロックしている人物のツイートを埋め込んでいるためです。
既にお互いにブロック状態のアカウントの場合もあれば、新たにブロックされていることがわかるケースもあります。
そのような時に、その人がなぜ私をブロックしたのかその理由がわからず、何かもやもやするというか嫌な気分になりますし(お互い様でもあるのですが)、普段は忘れていて気に留めることもない相互ブロック、または私だけブロックしているアカウントの存在や発言内容を、その都度意識しなければならないというネガティブな事象の蓄積が、知らず知らず私の心の安定を奪っていることを、ここ数日の中で感じていました。
また、それらの人とフォロワーさんが会話していることも、メンションを見ればわかりますので、あまりいい気はしないものです。会話されている方に対しては特にネガティブな感情は持っていないのですが、私が心理的に受け付けない相手のことを、やはり意識してしまう瞬間ではあるので、あまり頻繁にそうした場面に遭遇したくないという防御本能が働きます。
これは集スト被害者が加害者の存在自体を極力意識したくないと思う心理と同じものと言えます。
このような理由もあって、私がツイデモの参加を辞退したことも正直にお伝えしたいと思いました。
ツイデモ自体は、とてもいい企画だと思いますし、連日トレンドに上がるほど盛り上がっているので、それは素直に喜ばしいことだと思います。また、ツイデモに関係なく共感したツイートは、これまで通りRTやいいねをさせていただきますので、もしご迷惑な場合は、リムーブやミュート、ブロックなどで対応していただければと思います。
また、お声かけいただいた主催者の方や、短い期間でも私のツイートに共感し、RTやいいねをくださった被害者の方には大変感謝しています。今後は普段通りの状態、平常運転に戻りますが、ツイデモへの参加を取りやめたというだけで、普段通りツイートもしますし、RTやいいねもさせていただきますので、今後ともお付き合いいただけたら嬉しく思います。

「呉越同舟」
最後に・・・
「呉越同舟」という言葉がありますが、私がツイデモに参加していた時の心境というのは、まさにこの「呉越同舟」に近いものがありました。
仲の悪い者同士、また、敵味方が、同じ場所にい合わせること。また、反目し合いながらも共通の困難や利害に対して協力し合うことのたとえ。(引用:コトバンク)
仲違いしている者同士が同じ困難や利害に対して協力し合う・・・ならまだいいのですが、ブロックしている者同士なので協力し合うことはありません。また協力したいという気持ちも、もはや抱くことができないほど深い溝が横たわっているのです。
その人が私に向かって発した過去の発言を思い出し、嫌な記憶がフラッシュバックするその瞬間、塞がりかけた古い傷口がまた開くのです。何の接点もなく私をブロックしていたアカウントのことなども、その都度思い出したくはないのです。
協力し合うどころか心の中に反感が募るだけの人と同じ舟に乗ることはできません。
被害者になってまだ日の浅い方、ツイッターを始めてから1~2年の方にはこうした事情や心情は理解しにくいかも知れませんが、同じ被害者であっても様々な思いや確執が渦巻いている世界です。大同小異、呉越同舟の精神でそれらを乗り越え、一致団結できる寛容さを、心の狭い私は残念ながら持ち合わせていませんでした。
せっかくの盛り上がりに水を差すようなことを書いてしまい、とても申し訳なく思うのですが、周知が進み、この犯罪がいつか消滅することを心から願い、そしてそのための大きな一歩となるかもしれないツイデモの成功を陰ながら祈っています。
