口論の発端となった「妄言」ツイート|あまりにも自己中心的な解釈で私を非難し続けるおかかさんへの反論3

おかかさんとの口論の発端となった、ある一つのツイートに、一体どの様な問題があったのかを改めて検証するために、2021年2月27の私とおかかさんの発言を振り返ってみたいと思います。

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おかかさんから「妄言」とまで言われたツイートが投稿された経緯

記憶されている方も多いと思いますが、当時は、スーパークレイジー君が俄に注目を集めていた時期でした。何やらそうかそうかの闇を暴露してくれるのではないかと被害者の間でも期待が高まっていて、他の被害者の方のRT経由で目にしていた私も、次第に関心を持つようになっていました。

彼の経歴などは別として、某宗教団体が選挙で圧力をかけていたことを匂わせる発言をしていましたので、その問題が注目されることによって、「かの団体」の危険さがもっと世間に知れ渡るのではないか、などと思い、彼の活躍に期待したのです。

そしてその日、私はいくつか彼のツイートをRTしました。

ツイログより。

そしてそのRTに続いて、口論の発端となった「問題のツイート」を投稿をしたのです。

過去はどうであれ、今、人の為になる様な生き方をしているなら、私はその人に賛同する。

これはスパクレ君へのエールのつもりでした。色々と妨害されることもあるだろうけど、そうした圧力に負けずに、頑張って欲しいという気持ちの表れでした。

「過去はごめんなさい、変えられませんが。これからの新しいスーパークレイジー君を宜しくお願い致します」と本人もプロフィールに書いているように、過去はどんなに悔やんでも変えられません。だから、いつまでも過去のことで非難し続けるのではなく、これからの生き方を応援したいと思ったとして、その思いのどこに問題があるのでしょうか?

「成果も出ていないのだから、今、人の為になる生き方をしているとは言えない」という理屈でおかかさんは私を批判していますが、それはおかかさんの考えであって私の考えとは違います。私が自らの考えの元に発言したあの内容は、何ら責められるようなものではないと、今でも思っています。

また、スパクレ君がどうであるかは別として、過去に道を踏み外すようなことがあったとしても、その後、心を入れ替えて、世の為人の為に尽くす人はいくらでもいると思います。

だから「過去に一度でも道を踏み外した人が延々とその事で非難され、人として生きる事さえ許されないなら、それを責め続けているあなたもまた許されないのでは?」という言葉を続けたのです。

「それを責め続けているあなた」というのは、加害者を想定しての言葉でした。

心の中では悪いことをしていると分かっているのに、それを認めたくない加害者らは、自らの殺傷行為を正当化するために

「これは過去に悪いことをした人間に対する正当な懲罰なのだ」

「過去に悪いことをした人間を更生させているのだ」

あるいは

「国家にとって危険な人物だから監視が必要だ」

などという身勝手極まりない理屈で、ターゲットに選んだ個人に対し、違法で残虐な、精神的/身体的拷問を加えているに違いないと私は思っているのです。

だから、そのような加害者に向けて

「胸に手を当てて、自分のしてきたことをよくよく考えてみれば?」

「人を死に追いやるような仕事をしている“あなた”もまた許されないのでは?」

という、私なりの精一杯の皮肉を込めた言葉を続けたのです。

でも、それを誰かに理解してもらいたくて書いたものでもなかったし、ここまで言葉を尽くして説明する必要性も感じていなかったし、そもそもツイッターでそこまで説明するのは難しく、読んでくれる人も限定的な私のツイートにそこまでの厳密性を求める人がいるなどと思ってもいなかったので、「あなた」とだけ書いて投稿したのです。

私がおかかさんのことを遠回しに言及したと誤解される

そして上記の私のツイートに、おかかさんからリプライがありました。

1時間ほどツイッターを離れていたため、リプライがあった事も気付かずにいました。先のリプライに続いて「なぜ返信をくれないのですか?」というリプライも届いていました。

私はその時、動画のアップロードをしていて、サムネイルの作成や公開前の設定をしていました。Youtubeへのアップロードが終わってそれをツイートした時刻が、おかかさんからのリプの後であることはこのツイートの投稿時刻でお分かりいただけると思います。

おかかさんからのリプライが来ている事に気付いた私はこのように返信をしました。

今、思い返すと、「自己矛盾の解消」という意味合いもあったのです。

これはおかかさんへの返信ではなく、単独でツイートしたもの。

この「なんか吃驚」という言葉もおかかさんから批判されていて、「吃驚した」「おかかさんの反応が異常だ」という意味に変換されてしまい、私がおかかさんに対し、誹謗中傷人格否定をしている事になってしまっているのです。

それでもこの時は、おかかさんも理解を示していました。

 

これがこの時のやり取りの一部始終です。私は、この話はこれで終わったものとばかり思っていたのですが、おかかさんの中には何かくすぶり続けていたのでしょう。それが3ヵ月後のあの投稿となって現れたのだと思います。

一つ補足しますが、この後もおかかさんとはDMのやり取りをしています。その中でおかかさんは、「偽キリスト」について私に説明するために、ご自分のブログのリンクを貼ってこられたので、私がおかかさんのブログを読み、そして韓国朝鮮人の生活保護受給率の話などをしています。

詳細は前回の記事を参照ください。

次回の記事で取り上げる「ライトさんとのやり取り」の中で、おかかさんは私に不信感を抱いたとツイートしていました。もし私に対するわだかまりや不信感があったのなら、なぜこのようなDMを送ってきたのでしょうか?なぜその時に、不信感について直接言ってくれなかったのでしょう?「自分を曲げてまで相手に迎合するようなことはしない」というツイートもされていましたが、何か釈然としません。

ここまでこじれてしまった以上、冷静に話し合えるとも思わないので、今となっては想像する他ないのですが・・・。

おかかさんのツイート内容と「よく似ていた」と言われても・・・

冒頭の私のツイートに対し、「私の事を言っていますか?ちょうど私がツイートした内容と上記とその前のツイートの批判内容がよく似ているもので」とのことだったのですが、私はおかかさんがどういうツイートをしていたのか、この時点では全く知りませんでした。

「ちょうど私がツイートした内容」とはこのようなものでした。

おかかさん自身も「あなた」という主語を使っていますが、私にはこの「あなた」が誰のことか分かりません。

 

この一連ツイートと私のツイートのどこが似ているのかよく分かりませんが、私が書いた「あなた」という主語が、このように激しく誰かを批判しているおかかさんの事を言っているのだと思われたので「私の事を言っていますか?」というリプをしてこられたわけです。

けれど、あれはおかかさんの事ではなかったので、そして、よもやおかかさんからそのようなリプが来ることなど全くの想定外だったので、吃驚しながら否定したのです。

また別の機会でも触れますが、上記スレッドの最後の投稿で

「被害者は精神病だと言うレッテル貼りをして(破滅に追い込んだり)犯罪を隠蔽する」事だよ。

ということを書かれています。そうであれば、何故私に
「統失オバサンはよ強制入院」
という言葉を投げかけた女性を、おかかさんはしきりに擁護するのでしょうか。全く理解に苦しみます。

あの時のあの状況で、
「統失オバサンはよ強制入院」
という言葉が、誰に向けた言葉なのかは一目瞭然なのに、その女性を庇い、私を糾弾するおかかさんの心情が、私には理解できません。

「誰も理解できないから妄言」だとか「言論弾圧」だとか迷惑極まりない

繰り返しますが、私は今でもこの投稿に問題があったとは思っていません。

私の素直な気持ちを私のタイムラインで投稿する。それのどこが間違っているというのでしょうか?

「私の投稿に問題があった」として、固定ツイートにまでして延々と言い続けているので、本当に私の考え方がおかしいのかと不安になった私は、先日、ある機関に電話を掛けて、客観的にどう思うか聞いてみたのです。

法務省 インターネット人権相談

相談員の方の回答は、私の投稿したものは、何ら問題のあるものではないとのことでした。

客観的にみても問題はないと確認できたことを受け、「あの日あの時、私がスパクレ君に対して個人的にどう思ったのかを表現したもの」を、おかかさんに咎められる筋合いなどないと、改めて申し上げておきます。

人には「精神の自由」=「思想・内心の自由及び表現の自由」があります。何ら違法性のないものを、おかかさんが勘違いしたからという理由で、ここまで非難される謂われはありません。

私はただ、私を巻き込まないで欲しかったのです。私の名前を出して欲しくなかったのです。スクショを貼って欲しくなかったのです。

例え直接私にメンションを送っていなかったとしても、誰かが自分のツイートのスクショ付きで何か言っていたら、気にするなという方が無理でしょうに。「批判ではありません」と前置きしたからと言って、決して気分のいいものではありません。

それでも私はおかかさんのツイートに反応せず黙っていました。おかかさんにリプすら送っていません。「私が出て行った」事実もありません。

そうされたことが嫌だったので、自分のタイムラインで少しばかりの愚痴はこぼしましたが、私の中では完全にそこで終わっていた話でした。怒濤の如くおかかさんからのリプライが来るまでは・・・。

しかも当該ツイートをした時点では、おそらく居住実態問題は出ていなかったので、成果云々の主張からの派生として居住実態を持ち出すのは的外れです。

そもそもの話ですが

私は成果の話など一言もしていませんし、私が賛同した理由は成果ではなく、彼の今後に対する期待だったのです。今後に期待して賛同した。それのどこが問題なのですか?どこが妄言なのですか?

これをずっと固定ツイートにしている。

そもそも誰かに理解してもらおうと思ってツイートしていないから。それとも独り言すら言ってはいけないの?おかかさんを含む「誰も」理解できなかったら「妄言」になるなら、おかかさんだって誰のことを言っているか分からないツイートしてるでしょう?それは「妄言」じゃないの?随分とご都合主義なんですね。

私がスパクレ君のツイートをしなければって、何の問題もないものを勝手に問題視して、おかかさんが騒いでいるだけでしょうに。

仮に「その時点で成果を出せていない人」だったとしても、「今、人の為になる生き方をしていると私が勝手に思い込んだだけ」だったとしても、ここまで言われないといけないことなのですか?

個人的な思想や考え方にまで過剰に介入し、まるで思想警察のようにジャッジして、ご自分が納得いかない考えを「間違い」として、ご自分が勘違いしたことを自己正当化しようとしているだけのように私の目には映ります。

また、「今、人の為になる生き方をしている」は、スパクレ君だけを対象とした言葉ではなく、先述のように「心を入れ替えて世の為人の為に尽くした人」も含まれていたような気がします。

その時の心情を正確に思い出すことも難しいので、多分そういう思いもあったように思う、という意味の「気がする」なのですが、こうして事細かに説明しないと、誤解されてしまうのが人間関係のデフォルトなんだなと思いつつ、人間ってめんどくさい生き物だなぁと熟々思う今日この頃。

人の心の動きは極めて微細で、刻々と変化し、同じ所に留まらず、絶えず流動しています。ふと浮かんでは消える雑念や捉えどころのない思念や情緒のようなものが、その時々に言葉となって現れるのです。

けれど、その言葉をどう受け止めるかは人それぞれで、必ずしも言葉を発した本人にとって好ましい反応をする人ばかりではありません。仮に好ましくない反応をした人がいたとして、都度責任を問われ、あるいは後々までずっと断罪され続けるならば、恐ろしくて言葉など発することもできなくなります。

いつどこで、「お前のあの時の発言が不快だった、俺が納得するまできっちり説明しろ、責任を取れ」などと言われかねないですから。

今のSNSを見ていると、他者の言動を必要以上に監視して、自分が不適切だと認定した発言に「問題発言」の烙印を押し、「間違っている」ものに対しては容赦なく攻撃し、心理的にプレッシャーをかけ、発言を躊躇させ、抑圧している場面を多く目にします。そうした抑圧こそが真の言論弾圧なのではないでしょうか。

まさにおかかさんが私に投げつけたあのイラストのように。

「相手が間違っているのだからどれだけ叩いてもいい」と正義を振りかざしているのは、一体どちらでしょう?

私はあの記事を書いたあと、一言もおかかさんのことを非難していません。謝罪こそすれ、今回の一連の記事を書くまでの9ヵ月もの間、ツイッターでもブログでも一切の言及をしていません。

「私に問題があった」と決め付け、正義という名の棍棒で私を殴り続けたのは、おかかさん自身だったのではないですか?

人の粗はよく見えても、自分のことは意外と見えていないものです。冷静になってご自分の言動を振り返ってみたらどうでしょう?

話を戻しますが、自分が自由に発言したいなら、他者の発言する自由も認めるというのは、子供でも分かる道理です。匿名で好きなことが言えるSNSの弊害の一つではあると思いますが、そういうことを忘れて、他者と自分の境界線が曖昧になり、平気で他人の心の中にまで介入しすぎる人が増えてしまっているように思います。

ただし、これはあくまでも一個人としてSNSを利用している人の場合であり、ネットで世論誘導やその他の工作をしている者に対してはその限りではありません。工作員には厳しく対応する必要がありますから。

いずれにしても、ネット上で自分にとって嫌な言葉を発する人がいたら、私ならそっと離れます。その人に、自分にとって好ましく、耳に心地よい言葉だけを発することを期待し、またそのように変えさせることなど不可能です。またそのようなことは相手をコントロールすることになりますから、すべきではないと思います。自分だって誰かからコントロールされたら嫌でしょう?だったら自分も他人をコントロールしない。至極当たり前のことだと思います。

因みにおかかさんは、「私が他の被害者を誘導し、コントロールし、言論弾圧をしている」などと吹聴されていますが、私はそのようなことはしていません。「こういうことはしない方がいいのではないか」といった提言はしますが、他人を支配したり、自分の好きなようにコントロールする気など微塵もありません

というか、私が「こうしなさい」「あなたはこうすべきだ」と命令したら、黙ってそれに従う人がいるんでしょうか?

そもそも従わなければならない法的義務もなく、従わない自由だってあるのに、何の権限も持たない私が、誰かを強引に従わせようとしたら、それは強要です。そして従う義務もないのに自ら私に従った人と、これまでにただの一人として出会ったことはありません。

もし私に服従させられ、言論弾圧されたという人がいるなら、ぜひ名乗り出て欲しいと思います。また、おかかさんが知っているならその人の名前を挙げてください。本人(私)が当事者の存在を確認することができないのなら、それは単なる言い掛かりです。

いずれにしても、誰かの意見を目にして、それに賛同するならその意見を取り入れる、賛同できないなら無視するかそっと離れる。ただそれだけのことなのに、必要以上に他者に執着する人が多い印象を受けます。

意見の合わない人とどこまでも論争しても平行線のままどころか、方向が180度の真逆になり、決して交わることはないでしょうから、意見の摺り合わせなどという無駄な努力はせず、お互いに関わらない、相手に固執しない、というのが賢い選択ではないでしょうか。人はみんな違う意見や価値観を持ち、それぞれの人生を生きているのですから。

基本的なことですが

他人はコントロールできません。

コントロールできるのは自分だけ。

自分にコントロールできないものは自分の問題ではなく、その人自身の問題です。

この大前提を忘れて自他の区別や線引きができていない人が、あまりに多い気がします。私も偉そうなことは言えませんが・・・。

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