
ある興味深いブログ記事を紹介させていただきます。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
実は昨夜、ある方のツイート経由でこちらのサイトを訪問させていただいたのですが、とても興味深い内容が多く、つい没頭して読みふけっておりました。
特にこの一連の記事はお勧めです。
このブログの主催者さんはカトリックの方ですが、そして私はキリスト教徒ではありませんが、私が受けている被害と、「かの秘密結社」とは決して無関係ではないと思うので、彼らの思想や思惑を知る上でとても参考になりました。ぜひ1~7までお読みいただきたいと思います。
そして同サイトにあったUFOカテゴリを拝読。
「UFO・宇宙人」と「悪魔・悪霊」との間には強い関連があるらしい
確かにそう言われてみるとそうなのかも知れません。私も頻繁に奇妙な光景を目にしてしまうのですが、それは地球外生命体(宇宙人)というよりは、この地球にいる悪魔、サタン、ルシファー、そういう存在が地上と空中で見せているものなのかも知れないと・・・。
ただ、確実にそれだけなのかどうかは私には確かめようがない為、地球外からの場合も完全否定はしませんが、確かに悪魔的なものが見える(映像に映る)ことはあります。しかもかなり頻繁に。そしてそれは人や乗り物の姿形をして私の目の前に現れます。
それにしても、なぜこんなにも私ばかりをつけ回すのか、未だに理由がわかりません。仮に人間を堕落させたり不幸にするのが目的で、人間なら誰でもいいのなら、私以外の身近な人物でいいはずなのに。そしてそういうことなら少なくともこの地域に私と同じ被害に遭っている人が何人(何十人、何百人?)もいるはずなのに、そういう人と出会わないのはなぜなのか。彼らは特定の人を集団で狙うのですが、どうもその辺りがよくわかりません。
さらに別館より。
勝手ながら一部引用させていただきます。
ビリケンはそういうヤツである。彼はイージー教の神である。
(中略)
そして他方、「人生」ってのは、そこまで簡単じゃない。確かに、「笑いは王様」ではない。人は真面目に考えるべき時には真面目に考えなけりゃいけない。真面目に考えるべき事柄を「笑いながら真面目に考える」ことはできない。人類の先行きとか、この世の悲惨とか、そして、そう、地獄の有る無しのこととかをね。私達はそれらについて笑いながら考えることはできない。笑う人は考えることができない。ビリケンが私達に勧めている生き方とは?
「イージー教」
なるほど、私がずっと違和感を感じていたのはこういう類のものだったのだと納得したというかスッキリしました。なぜ違和感や嫌な感じを受けるのだろうと、でもその嫌なものがどこから来ているのか分からずに、ずっとモヤモヤしたものがあったのです。
明るく前向きに、というのが悪いと言うつもりはありません。でもそれだけでいいの?というのがどこかにあって、突き詰めて考えることや解決する努力を放棄させようとする悪意のようなものを無意識に感じ取っていたのかも知れません。
そう言えばどこかにそういう教えを熱心に布教している人、いませんでしたっけ?
ここに「笑っていろ」「気にするな」を追加したい気分です。

闘わなければ精神を蝕まれていく
気にするな、無視しろとしきりに他の被害者に奨励している方もいますが、仮に自分は気にしていないつもりでも、深層心理や無意識の領域ではしっかりと認知していて、そのダメージは蓄積しているのです。それが出口を求めてマグマの様に心の奥底に溜まっているのですから、自分はこんなの平気だよ、全く気にならないよと誤魔化してみた所で、そのマグマは出口を求めていて、いつ爆発しても不思議ではないのです。
そもそも自分の気持ちを誤魔化すだけで根本的な解決になるはずがありません。と言っても本当に気にならない人はそれでいいと思いますし、気にならないのに無理に気にする必要もないことは、改めて言うまでもありません。
それに笑うことも必要だと思います。笑うことで気持ちが楽になる時もあるのですから、笑うことが悪いなどと言うつもりは毛頭ありません。楽しい気分なのに一日中しかめっ面をしている必要もありませんよね。
でも本当に深く傷付いている人というのは、例え笑って一時的には気持ちが軽くなったとしても、また現実に引き戻されて虚しくなるの繰り返しだったりするのです。ましてや自分でさえ自分を救えないのに、簡単に他人を救えると思うのは、単なる思い上がりでしかないのに、そういうことを平然と言ってしまえる神経を私は疑ってしまいます。
子供の頃の虐待や学生時代に虐められた記憶が、ずっとその後の人生にも影響を及ぼしているのは、その時受けた傷が癒されていないから。
そんなことはもう気にしていないんだと強がってみても、誤魔化してみても、自分の心に嘘はつけない。本当は傷付いたこと、仕返ししたい程悔しかったこと、気にせずにはいられなかったこと。
鮮明に蘇る記憶と心は正直だから、昨日のことの様に思い出し、また嫌な気分がフラッシュバックする。
自分自身がきちんと向き合うことでしか解決しないこともあるのに、やたらと介入して解決の機会を奪うのは、本当の善意とは言えないのではないかと私は思うのですが、皆さんはどの様に思われますか?
*・*・*
こちらのサイトにもかの教会のことが書かれていました。
私はキリスト教のことはよく知らないのですが、フリーメーソンがなぜここまでアンチキリスト(教)なのかと考えると、そして巧妙にキリスト教に侵入し、内部から別のものに作り替えてしまう様な偽装工作をするのかと考えると、やはりそこには決して無視できない何か重要な意味があるのではないかと思うのです。
再びto C様より。
蜘蛛と言えば・・

サタニストとメーソンと蜘蛛、只ならぬ繋がりがあるように思えてなりません。