
以前から思うところあって、X(Twitter)の投稿をセーブしつつ(できていない日も多いのですが・・)、最近は「返信できるアカウント」を「自分のみ」にしていることが多くなりました。なぜかというと、私は元からSNS上でのやり取りにあまり積極的ではないからです。
※本ブログは個人の見解に基づいた憶測や推測を含みます。不確実、または間違った内容が含まれる場合もありますが、報道機関やプロのジャーナリストではない個人のブログですから、正当な批判の限度を超えた非難や誹謗中傷、人格否定、人身攻撃等は厳に控えてください。またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。

私が自分で「無理がない状態」と思うのは、一人でボソボソ呟いて自己完結する、みたいな状態です。そこに誰かの意見とか自分語りとか労いとかアドバイスは求めていません。(トゲのある言い方に聞こえたらご容赦を)
私はX(Twitter)を自分の考えや思いを表現する場として利用しています。誰かが持論を展開する場でも、ご自分の被害を延々と語る場でもありません。そうしたものは、私へのリプ欄ではなく、ご自身のタイムラインで発信されたらよいと思うのと、もし私が誰かの情報を必要とするならば、私がそれらを拾いに行けばよいだけなので、自分のペースを維持できる「自己完結」が楽なのです。
まして議論など吹きかけられた日には、それだけで一日(下手をしたら数日)の予定が狂ってしまいます。SNSは議論には向かない媒体で、それこそX(Twitter)での議論ほど不毛なものはないと思っています。
FFの方は別として、よくわからない人との交流に時間や労力を割きたくないし、その人がどういう人なのかを知るためにツイートを遡ったりするのはかなり大変で、そうしたことが増えれば増えるほど多大な時間を奪われてしまいます。また、そのような必要性も感じていません。
そもそもエネルギーが枯渇しているので、そのようなことに「干上がる寸前」状態のエネルギーを割り振る余裕がありません。
何よりも、ちょっとした行き違いや誤解から、また嫌な思いをするのではないか、傷付けられるのではないか、という警戒心や恐怖心があります。逆に、意図せず私が誰かを傷つけてしまうこともあるでしょう。そこから悪霊もとい悪評の流布が始まる可能性もあります。(^_^;
そのようなことに疲れてしまったということもあり、また自分の時間もそれほど多くは残されていないと思うため(せいぜい生きてもあと10年程度ではないかと思っている)、時間を無駄にしたくないという気持ちは以前からずっとありました。
なので、相手がどういう人なのかもわからないのに(もしかしたら加害側の人間かもしれないのに)、この人は大丈夫と確信も持てない相手とSNS上でやり取りすることに時間と労力を割きたくないのです。
私がネットで発信する理由は
「世間にこの犯罪を理解してもらうこと」
最初からそのために発信を始めたのに、SNS上でのいざこざやトラブルでどれだけ時間を無駄にしてしまったことか・・・。
その殆どは相手側からの一方的な攻撃や言い掛かりによる「もらい事故」ですが、そんなくだらないことで失った時間はもう取り戻せません。
そして、そうした場に無防備に身を置いていた自分に対しても後悔しかありません。

フォローしてきていきなり距離を縮めてくる人がいますが、正直に言ってしまえば、そのような方には「距離感がバグっている」方が多いと思います。あまりに距離感が近すぎるのはストレスになります。
人間同士の距離というのは、時間をかけて相手との信頼関係を築きつつ、近づいたり離れたりしながら徐々に縮めていくものであって、「相互の信頼の上に成り立つちょうどよい距離感」を共有できる関係というのは、SNSでちょっと声をかけて、短時間でお手軽に得られるもの・・ではないと思います。
返信できる相手を「自分のみ」や「フォローしているアカウントのみ」や「@ポストしたアカウントのみ」にしている理由を汲み取ることもなく、安易に引用される方もいますが、そのような引用もあまり好きではありません。(引用自体を否定するわけではなく、また、拡散の協力としての引用は嬉しいのですが、あくまでも「意図が掴めなかったり不本意な形で引用されるのは好まない」ということです。)

私が「引用RT」に何となく抵抗を感じる理由が、まさにこの「権威付け」で、私の投稿など権威になるわけではないとしても、「利用されている」ように感じるからだったんだなと納得でした。元の投稿の趣旨に即したものであればいいのですが、「ハッシュタグのみ」とか「無言」で引用された時などは、何か主張したいなら、ご自分の言葉や著作物で発信したらいいのでは?と思うことがしばしばあります。なんというか「手抜きの道具にされた感」が残ってしまうのです。
引用ツイートはリプライ制限をしても、くぐり抜けてしまうので、現状はリプライ制限も引用ツイートという機能の影響で実質的に意味がないものになってしまっています。
今後は、引用ツイートを制限できる機能が実装されれば、この問題は解決すると思うので、その機能が実装されることを待ちたいです。
↑これです、これ。せっかく返信できるアカウントを制限しても引用RTはできてしまう。これこそバグじゃないですか。意味ねー、って思います。
あと、相互でない鍵アカウントに引用されることが頻繁にありますが、これが実に気持ち悪いのです。鍵アカウントで引用して、相手に見えない場所でディスっているのだとしたら、それこそ卑怯者の極みです。これだって制限できるものならしたいのですが、イーロンマスク氏は改悪しかしないから無理でしょうね。
お金配り系のダサキモいスパムアカウントだって放置どころか増えてますよね?

いずれにしもて、「いいね」や「リツイート」は全然構わないのですが(むしろ歓迎です)、リプライや引用RTの場合、返信したほうがいいのかスルーしたほうがいいのか、返信するならどう返信するか悩んだりするのは、私にとってはかなりストレスです。
それに関しては、↓この記事を読んでいただければ、ある程度は理解していただけると思います。
繰り返しになりますが、私の本意ではない引用(元の投稿内容とは無関係だったり、私の思想とは相容れないハッシュタグを並べただけのもの)や、負担を感じるような引用は本当に苦手です。
先日も、私の投稿とは無関係なハッシュタグをたくさんつけて引用されたことがあり、相手にそのことを伝えたら、後日ブロックされていました。
比較的最近フォローされて何度かRTもしていただいていたのですが、さすがにそのような引用が続くと困るので正直に伝えたのですが、それが気に触ったのでしょう。私の伝え方がまずかったのかもしれませんが、所謂、勝手に「理想化」して勝手に幻滅して捨てゼリフを吐いて去って行く、みたいな方とも時折遭遇します。
※その方が捨てゼリフを吐いたという意味ではなく、あくまでも例えなのですが、ブロック後に何か言っていたのかどうかまでは確認していません。しかし、その引用は迷惑(不本意)であると伝えられたら、せめて何か一言、言うのが礼儀というか大人の振る舞いではないでしょうか。
急に好意を持って「距離を詰めてくる」タイプの人ほど、ある日突然一方的に嫌って去っていくからね。そういう人は自分にとって都合のいいフィルターでしか相手を見てなくて、関わるうちに粗が見つかり勝手に幻滅する。結論、勝手に理想化してくる人なんかに振り回されず自分の人生を生きるといいです。
— マノマノ? (@manomano_farm) May 18, 2023
被害者界隈を見ていて時々思うことですが、被害者である前に一社会人としての最低限のマナーや、他者に対する配慮くらいは身につけていて欲しいと思っています。
私が偉そうに言える立場ではないのですが、そうした「人として備わっていなければならないものが備わっていない人達」が、いくら声高に被害を主張し、「知ってください」「理解してください」と叫んだところで、一般の方は聞く耳を持ってはくれないと思います。

アカウントを削除されてしまった方のツイートを引用させていただきます。
身元や名前を明かして政治活動や社会運動に参加している場合に1番恐ろしいのは、実は「アンチ」の人ではないことがある。こちらを過度に理想化して好意を伝えてこられ、だんだんとその頻度や表現が強まり、びっくりするくらいの賛美を送られたり、まるでとても近しい関係であるかのように語られる。
こういうケースは、こちらがその人からの連絡に返事をしなかったり、その人の「望む通りの」言動をしなかったりすることで、激しい恨みを持たれるのが特徴である。こちらを理想化して崇め、現実の「私」ではない偶像にその人の願望や思い込みを投影し続けてしまい、ある日突然憎しみに変わるのである。
また、こういう場合の1番の対処法が、そうした相手を刺激しないように「発信や活動を控える/やめる」ことになってしまうとしたら、これはあまりに理不尽であり、そもそも「理想化」されること自体も最初から防ぎようがない。
度を超えた「賛美」「理想化」も、結局のところ、相手を支配したいという願望の現れである場合がある。
まさにその通りだと思ったので、このようなエアリプをしました。
特にSNSには距離感のズレた方が多いように思う。依存心が強い人というのは、往々にして相手を理想化し、勝手に失望して、自分から接近してきたにもかかわらずブロックして去って行ったり。去るだけならいいけど(むしろ去って欲しい)、憎悪の塊となって誹謗中傷を始めたりすると非常に厄介。
— ·⋆enigma⋆· (@usausaland) October 14, 2022
また、「共感や賛同しつつ足を引っ張る人達」もいます。
動画を撮るのに資料を引っ張り出してきて足下をすくわれないように再確認をしているのだが(-_-;)これがね後の百太郎の百日新聞(古っ)を読むのと同じくらいエネルギー消費するんよ。そして動画をあげたら税金チューチューとか在⭕が~背乗りが~チュチェが~と的外れなコメントの追い打ち辟易するって!
— 砂澤 陣 (@SunazawaJin) November 4, 2023
これも本当によく見る光景です。わざとやっているのではないかとさえ思えます。
時間と労力をかけて世に出したものを、浅薄で陳腐なものへと格下げしてしまう「味方」が一番の敵なのかもしれない。
— ·⋆enigma⋆· (@usausaland) November 5, 2023

ちなみに私がエアリプを多用するのは、相手に負担をかけたくないからです。相手を罵倒するためではありませんので悪しからず。
本当にコミュニケーション能力が低い人というのは、相手との距離感が遠い人ではないんです。相手との距離感が近すぎる人のほうが、むしろコミュニケーション能力が低い人なんだとおもうようになりました。
埋め込み失礼します。こちらのツイートに激しく同意です。
相手との距離が近い程「課題の分離」が必要なのは➀相手への過度な期待や過干渉に繋がる②互いの精神的自立を妨げるなどの弊害が起こり、その結果「自分のものさし(価値観)を相手に押し付ける→相手が苦痛を感じて関係がギクシャクする→関係が破綻してしまう」という不幸な結果を招かないためです。
— Masako Otsuka?Self-Healing Laboratory (@masako_otsuka) November 18, 2023
あと、私がよく引用する↓この記事ですが、他人の投稿のコメント欄は「人様の庭」という考え方、とても大事だと思います。
こういうことを考えながらSNSを利用している人はどれくらいいるのだろう。
他人の投稿のコメント欄は“人様の庭”である https://t.co/l9O8sR53od
— ·⋆enigma⋆· (@usausaland) November 22, 2022
SNSを見ていて、自分本位にリプライや引用コメントを書いてしまっている人が多いように思います。わざわざ相手に通知が届く形で言葉を発するのであれば、それを受け取った相手がどう感じるのかを常に考えて書くことが大事だと私は思っています。当たり前と言えば当たり前のことですが・・・。
私は人と群れるのが苦手というか嫌いです。馴れ合いも好きではありません。ベタベタした関係も好きではありません。此方が心を許していないのに、妙に馴れ馴れしく話しかけてくる人は敬遠してしまいますし、パーソナルスペースに土足で入り込んでくる人は拒絶します。
逆に私が距離を近づけたいなと思う相手というのは、私の発信するものを尊重してくれて(同意や賛同でなくても)、なおかつ、その人が私にとって「価値のある情報」を発信してくれていたり、その人から学ぶことができる人、同じ被害者として共感できる人や、その人のことを好きだと思える場合であり、誰とでも仲良くなれるわけではないのです。
別に自分が偉いとか立派だとか思っているわけではなく、むしろ欠点の多い人間ではあるけれど、有限である時間を誰と共に過ごすのか、誰のために使うのか、という選択はとても大事ですよね?ということを言いたいのです。
そして誰にも邪魔されず何かに取り組む時間や自分一人の時間を何よりも大事にしたい人間です。
そんな人間の発信するものが何かの役に立ったり参考にしてもらえるなら、それは発信者冥利に尽きるのですが、そこに必要以上のコミュニケーションは求めていないのです。それよりも、動画や記事という形で、この犯罪を世間に知ってもらうことに、残された時間と情熱(エネルギー)を注ぎたいのです。
それを理解してくれている人は、無闇に私の時間を奪うようなことはしてきません。それがわかるから私もその方を尊重できるのです。

本来繋がらなくてもいい人、むしろ繋がってはいけない人とも容易に繋がってしまうのがSNSの一番の弊害だと思います。
そこから無用なトラブルに発展し、時間という最も大事なリソースを奪われてしまうばかりか、一生消えない心の傷を抱えてしまうのもネットという無法地帯の恐ろしい一面です。
情報を得たり、自分の訴えたいことを発信する上で欠かせないツールである反面、一歩間違うと人生を破壊されかねない諸刃の剣であることを身に染みて思う今日この頃です。
「誰と付き合うかではなく、誰と付き合わないかが大事」というツイートをよく見かけますが本当にその通りだと思います。付き合う相手を慎重に見極めないと命取りになる。10年間SNSをやってきて、一番の教訓がそれでした。繋がりすぎてしまう弊害は、繋がれない淋しさよりも遙かに深く残酷で、一生かけても消えない傷と損失と災厄をもたらします。
今となっては、すべてが後の祭りですが、もう少し私に知恵と知識があれば、このような状況にはなっていなかったのになぁと悔やまれるばかりです。
たった一人の人間と関わってしまったばかりに・・・、そんな後悔をしないためにも、付き合う相手は慎重に慎重に選びなさいと、もしも生まれ変わりがあるのなら、生まれ変わってくる自分に教えてあげたい。
そしてこんな苦しみは、他の誰にもにも味わってほしくないと思います。
