
前回の記事の余談として書いた部分ですが、追記している間に長くなってしまったので、エントリーを分けることにしました。
またこのブログには所謂「トンデモ陰謀論」と唾棄され、嘲笑されるような内容も含まれます。そのような内容が馬鹿馬鹿しいと思う方は、今すぐこのブログから離脱することをお勧めします。どうかあなたの大切な時間を無駄にしないでください。
個人行動主義ですが何か?
被害者の団結を呼びかける方々に言いたいことがあるのですが、直接論争は不毛だと分かっているので、ここに書いておきたいと思います。
私は自称他称被害者との幾つものトラブル(しかも殆どが相手から仕掛けられたトラブル)で、非常に嫌な思いを嫌と言うほどしてきたのと、巧妙な成りすまし被害者もかなり紛れ込んでいる為、他の被害者の人と連携しながら被害解決を目指すつもりはなく(ツイッターでのやりとりもしないという意味ではなく、これ以上傷付け合うのが嫌なので一定の距離は保つようにしている為)、基本的には個人行動すると決めて久しいのですが、それに対して否定的なことを仰る方もいらっしゃるようです。
同じ被害者と言えども、性格も違えば好みもまちまち、得手不得手な分野も違います。思想信条や政治的なスタンスに至っては、殆ど水と油ほどに違う為、例え被害者同士であっても、そのようなことを原因とする諍いやトラブル、断絶、敵対は、むしろ頻繁に発生しており、私も全てを把握しているわけではありませんが、決して珍しいことではないと思います。
特に私はサ(パ)ヨク思想の人とは絶対に相容れないことを自覚しているので、そのような人とうまくやっていく自信は皆無、最初から無理だと分かっているので、無駄骨は折りたくないし、そんな気力も最早残ってはいません。その分、自分のやるべきことに集中したいし、時間もエネルギーも節約したい、無用なトラブルで消耗したくない、と考えている人間です。
そもそも、自分に合ったスタイルで各々が行動すればいいのだし、目指す場所が同じなら、別にどういうルートを辿っても、どういうスタイルで攻略しても構わないはずなのに、個人で被害を訴えると逆効果だとか、精神疾患だと思われるだけだとか、何気にその一言二言が神経に障ることもある昨今ですが、そのようなことを仰るのはいい加減にやめていただけないものでしょうか。誰とは敢えて言いませんが・・・。
何か別の思惑があるのかは知りませんが、私から見たら体の良い同調圧力にしか思えません。そして人の努力や苦労に平気で泥を塗るような、思慮を欠いた発言には憤りを感じます。
今まで私は口にしていませんが、ネットではそのような活動を賞賛している意見(主に被害者からの)ばかりではないことをご存じないのでしょうか?
時折、ツイッター内で集団ストーカーと検索して何となく眺めることがあるのですが、その中に、「駅前でがなり立てている人達がいて、ちょっと怖かった」などというツイートをみかけたりするのですが、いくら主催者側が違うと説明しても、やっぱり右翼とか左翼系の過激な活動団体だと思う人達がいることもまた一つの事実なのだと思います。
そう考えると、個人で行動しているからダメで、団結して行動しているからOK、などというように、一括りに判断できるものではないと思います。何ゆえ、団結団結と、団結することが目的のようになっているのか、私から見たら逆にそれが奇異に映るのです。
水を差すようで申し訳ないのですが、あのNPOだって内部では悲喜交々、色んな問題があると聞きます。結局、どうやっても偽被害者が入り込むのですから、一致団結というのは、口で言うほど簡単なことではないと思います。ましてや偽被害者などいないという認識ではあまりに無防備過ぎると思います。
それでもうまくいくのであれば、それはそれで素直に喜ばしいことだと思います。私は別に否定ありきでこんなことを言っているのではありません。ぜひ才能ある方々の英知を結集して、解決と撲滅に向けて邁進していただけたらと思う次第です。
「証拠映像」として通用するの?
せっかくなので書いてしまいますが、「逆効果」と言えば確かに逆効果的なものがあることは私も同意です。(だからと言って、全てを逆効果と言われることには抵抗がありますが・・・)
例えば、家具とか洋服とかに傷が付いていたという「証拠映像」、あるいは「証拠写真」を提示して、それを被害だと主張される方もおられるようですが、「それって自分でやったのでは?と言われたらそれまででしょう?」と思えるようなものが多くないでしょうか?
本当に何者かに傷を付けられたことの証拠として認められるのは、例えば家を出る直前から撮影を始め、帰宅してその現場を撮影するまでの間、途中で途切れずに連続した映像として残っているようなケースだけではないかと思います。また、映像を継ぎ接ぎして手を加えたという疑いを排除できるものでなければ、本当の意味での証拠とは言えないと思います。(※なので私は常に「状況証拠」とか「根拠」、「裏付け」などと表現するのですが)
尚且つ、その時間帯に誰も家にいなかったことの「アリバイ」を証明できるような場合にのみ、それが第三者によってなされた行為であると主張できるのではないでしょうか?おそらく警察に写真や映像を持ち込んでも同じようなことを言われると思います。犯行現場が映っているなら別ですが、そのような場合は即座に警察を呼ぶべきでしょう。
また、何者かが侵入して、例えば天井の一部を剥がしたような場合、指紋や毛髪など、犯人特定に繋がるものが残っている可能性が高いのですから、警察を呼んで捜査してもらうのが通常だと思いますが、なぜかそのようなことをされないのが不思議です。その「証拠写真」をツイッターにUPして終わりというのはどういうことなのかと、いつも疑問に思います。
「証拠映像がある」と主張するのは簡単ですが、それが実際に証拠として通用するかどうかは別問題です。
例えば買ってきたばかりの食品が腐敗していたとして、それが本当にその日に買ってきたものであるのかを証明することは、案外難しいものです。ただその物体を映しただけでは不十分です。レシートとラベルを同時に映して、本当にその日に買ってきたばかりのものであることがわかるような、そしてその日が何年の何月何日であるのかがわかるような映像でなければ、「それって本当は1週間前に買ってきたのを、今日買ってきたばかりなのに腐っていたと言っているだけじゃないの?」と勘ぐることもできてしまうのです。
だから私は映像の最後にPC画面を撮影するようになったのですが、実際そこまでしないと証明は難しいと思っています。というかそこまでしても尚、証明できるかどうかは極めて難しいと言わざるを得ない状況だと思います。
それだから同様の映像を大勢が持ち寄れば、証拠として通用する、信憑性が高まると考えるのもまた甘いのではないかと敢えて苦言を呈しますが、自作自演や捏造の可能性を完全に排除するのは、並大抵なことではないのです。
また、ハイテク被害の場合、計測値を映した「静止画像」だけでは信憑性が低いと思います。先般の韓国軍とのすったもんだで、韓国軍側がモニターの静止画像を公開しましたが、数字の前に変なスペースがあるだとか、表示できる桁が少なすぎるという理由から、合成ではないのかと物議を醸したのは記憶に新しい所です。
実際、静止画像は動画に比べて遙かに合成しやすいので、静止画像のみを証拠とするのは、かなり無理があると思います。というより、動画での合成や捏造は、素人にはほぼ不可能ではないでしょうか?
逆に下の動画のように、実際に計測器の数値が変動する所を動画で撮るのはとても効果的だと思います。
このような反応が出る方は、計測器を持参して警察に行き、警察の人の目の前でこうした変化を見てもらったらどうでしょうか?
目の前で「実演」されたら捏造のしようがありませんから、警察も「不可解な反応が出ることだけでも認めざるを得ない」のではないでしょうか?ただしそのような時は、もみ消されないようにする為に、一人よりは複数で行った方がいいとは思いますが・・。
ちなみに上の動画を視聴して思ったのですが、これ生殖器狙いだとしたら、やっぱり人口削減の一環ではないでしょうか。
このような映像であれば、一人で主張していても十分訴求力はあります。無理に他の人達と連携しなくとも、被害を知ってもらうことは可能です。
団結して解決を目指すことに異論はないのですが・・
様々な考えを持った被害者が一つにまとまることは、現実的に可能なのでしょうか?被害の解決を目指す気持ちは同じだと思いたいのですが、そこは自我を持った人間同士、どこかで微妙に歯車が噛み合わないこともあり、ちょっとした溝から完全に関係が破綻してしまうことなどいくらでもあると思います。
それを一つにまとめるという試みは、そう簡単なことではないとは思うのですが、今回私が一番言いたいことはこういうことです。
一致団結して解決を目指そう!その取り組みに異論はありません。
「みんなで一致団結して被害を証明しよう!」大いに結構じゃないですか。
そこで終わっていれば何も言うことなどありません。私はその輪の中にいなくとも、遠くから応援したい気持ちはあります。何としても被害を終わらせたいのですから、どういう方法であれ、この犯罪が明るみに出て、加害者達が処分されるなら大歓迎です。
ところが「みんなで一致団結して被害を証明しよう!」の後に、個人では限界がある、一般の人に理解されない、逆効果だ、精神病だと思われる・・・云々と続くのは何故でしょうか?そこは余計だと思うのです。まるで私のやっていることは無駄だ、逆効果だと聞こえてしまうのです。
ではお伺いしますが、単独での発信は本当に「頭がおかしい」と思われるだけなのですか?理解されることはないのですか?それは実際に「一般の人」に聞いて確認したのですか?確認したのであれば、何人に聞いて何人が病的だと感じたのか、具体的な数字で示して欲しいと思います。あるいはインタビューでもして動画で流して欲しいと思います。何かを主張するには根拠が必要ですから。
賛同もあれば批判もあり、物事には一長一短ある
何かを訴える、主張するということは、賛同もあれば批判もあるものです。そんなことは私が偉そうに説明するまでもなく当たり前のことで、そもそも賛同だけの活動なんて存在し得ないことに異論を挟む人はいないと思います。
仮に皆で集まって行動するのが好ましい、集団行動の方が効果的だとしても、その一方でマイナスになる要素もあるはずです。
例えば、懇親会で被害者がハイテンションで盛り上がっていたとします。それを見た「一般の人」の中には、「悲痛な訴えをしている割には妙に元気じゃないか、なんだ大したことはないんだな」と思う人達だっているかも知れません。
私も長年のノイズキャンペーンや付きまとい被害で散々嫌な思いをしてきたので、賑やかな場所、騒々しい場所、人や車の多い場所は、ただただストレスが溜まるだけで苦痛なのです。だから「賑やかな集団」には嫌な感情を抱いてしまいます。仮にそれが被害者の集団であっても。
当たり前のことですが、物事にはプラスの面もあれば必ずマイナスの面もあり、何事においても一長一短あるのに、こういうやり方以外は愚策だ、効果がない、のような言い方というのはどうにも受け入れがたいものがあります。(個人的には、という意味ですので、他の方がどう思うかはわかりません。というかわかるはずもないのですが。)
チームプレーかスタンドプレーか、個々が選ぶもの
結局の所、集団行動(チームプレー)を取るか、個人行動(スタンドプレー)を選ぶかは、個々が決めればいいことだと思います。そして私は、集団行動が苦手なこともあり、当然ながらスタンドプレーを選択することになるのですが、スタンドプレーでも十分に世間に訴えることは可能だと考えています。
自分の駐車場が徒歩30秒の場所にあるのに罰金のリスクを負ってまで路駐を繰り返す、あるいは急病人(または怪我人)が、自分で歩いて救急車に乗り込む、こんなことは一人で主張しようが、大勢で主張しようが、おかしいに決まっています。
誰が考えてもおかしいことはおかしいわけで、それを言っている人物が、集団ストーカー被害者であろうとなかろうと関係ないと思います。むしろそれを病的だと思う人の方が病的ではないでしょうか。
私は自分と違うスタイルで活動している方のことをあれこれ批評したり、差し出がましく口を出すようなことはしていないと思いますが、自分のやり方を妙な理屈で否定されることに対しては、きっちり反論をします。
※無意識に言っている場合もあるかも知れませんが、極力口を出さないように留意はしています。ただし、政治的なバトルは別の話で、反日活動をしている人達には手厳しいことは自覚しています。
※名指しする時は余程の時くらいですが、相当ややこしい相手の場合は面倒なことになるのも嫌なので、敢えて名前を出しません。
疑惑・違和感
それ以外にも違和感を感じる点がいくつかあり、この際なので言わせていただきますが、殊更冷静さを賞賛し奨励する所も何か怪しく思えてしまいます。もしかして被害者の積年の怒りが爆発することを恐れているのでしょうか?もちろん冷静さも必要ですが、怒りが物事を動かす原動力になることまで否定しては、最早解決を心から願っているようには思えないのです。少なくとも私には。
極端な話、統合失調症だと思う人達のことばかり考えていては何も進まないのではないですか?私は被害届けこそ受理されませんでしたが、警察の人に説明して一応は納得してもらっています。資料を準備して、順序立てて丁寧に説明すれば、警察の人からも病気扱いされずに話が通じるものです。
こういうことを言えば妄想扱いされる、ああ言えば統合失調症扱いされる、一見、被害者のことを思っているようでいて、実はそういう刷り込みをして牽制しているのではないか、などと勘ぐってしまうのです。
また、集団ストーカー被害とテクノロジー被害は一体のものであり、別々に切り離すことができないにもかかわらず、集団ストーカー被害とテクノロジー被害を敢えて切り離す所にも誘導を感じてしまいます。
目に見えず証明の極めて難しいテクノロジー犯罪にばかり目を向けさせ、被害者の目の前に「犯人」が現れる集団ストーカー被害は重要ではないと誘導する人達がいる事も、前々から気付いています。ハイテク被害よりも証明の難易度が低い集団ストーカー被害の立証を遅らせたいのかな?などとあらぬ妄想をしてしまうのですが、私の杞憂で済むならそうであって欲しいと思います。
いずれにしても、私の主張や行動に対して、納得も同意も理解もできない理由で否定や批判をされるのでなければ、このようなことを言うつもりはないのですが、実際の所、そのような印象操作(と思える言動)がある以上、繰り返しになりますが、反論はさせていただきますのでご承知おきください。
ということでうだうだと書きましたが、結論を一言で言えば、以下のようになります。
私のような個人行動主義の人のことは放っておいて、団結できる人達だけで一致団結して、どうか一日も早く結果を出していただきたいと切に願うばかりです。
補足画像と動画

◇・◇・◇
(急病人が)自分で歩いて救急車に乗り込む、その1。



◇・◇・◇
(怪我人が)自分で歩いて救急車に乗り込む、その2。
88のプリントは先日の記事のK池・N弥。
このような不可解な行動は、一人で訴えようが団体で訴えようが関係なく、どう考えてもおかしいと主張できるものと考えます。なにゆえ、そのようなことまで否定されなければならないのか、私には理解できません。