目が覚めた後、駐車場を出て行った車と肝臓の違和感

昨日は静かだったので、今日は「仕掛けてくる」と思っていたら案の定、奴等は仕掛けてきました。「目が覚めると車が出て行く」というのは、頭が悪くても務まる稼業である集スト実行者が好んで使う「何とかの一つ覚え」の代表的な手口ですが、今日もまたが覚めた後、低いエンジン音の車が一台、わざとらしく出て行きました。

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この卑怯者たちは眠りから覚めたタイミングを狙う

加害側は1~2日間を開けて、その翌日に一斉に音や光で攻撃してくるので、ほとんどパターンが読めてきました。

加害の間を開けて緩急の変化を付けるのは、その方がより強く印象に残り、より強くダメージを与えることが出来ると分かっているからです。

狙った獲物に如何に苦痛を与えて死に追いやるか、ただそれだけを目標としながら生きている「人間を捨てた者達」の考えそうなことです。

この犯罪に加担している者たちは、正真正銘の殺人鬼でありながら、何のお咎めも受けず、罰も受けず、まともに仕事もせずに社会に寄生しながら、普通の市民の顔をしてのうのと生きている。

それを世間は見て見ぬふり。取り締まるべき警察組織が全く機能していないどころか、一部の者たちは加担さえする始末。

本当にこの世界は狂ってしまったのだと思います。そして、ここまで狂ってしまったものは、もう正常に戻す事は無理なのかも知れません。

今日の話に戻りますが、目が覚めて5分くらいしたところで、ヤンキー車のような低いエンジン音を響かせながら、車が1台、駐車場を出て行きました。

これはストーカー常習者兼中毒者らが多用する手口の代表例みたいなもので、ターゲットが目覚めたタイミングでサイレンを鳴らすか、車が出て行くか、あるいは車のドアを強く閉めるという示威行為(アピール)をしてくるわけです。

そうすると、被害者は「またか」という暗澹たる気持ちになります。そして、「眠りから覚めたタイミングまで分かっている」という事に、強い怒りを覚えるのです。

当たり前です。まるで実験動物のように、生態情報や脳内で考えたことまであいつらは知っている。生活を丸裸にされ、見世物にされている。

こんな卑劣で非人道的で人の道を踏み外した蛮行を、水に流したり笑って受け入れられる人などいるのでしょうか?少なくとも人間的に未熟な私には無理です。

市民に偽装した周辺住民(暗殺集団)にまた肝臓を狙われる

そのエンジン音が聞こえた後、肝臓付近に何かを照射されている感覚がありました。その後も肝臓か腎臓辺りに違和感が残っています。鈍い痛みのような何とも表現しがたい違和感のようなものが、照射された後、だいたい1日くらいは続きます。

周囲の部屋の住民の殆どが加害者となってしまった今、特に私が寝ている時を狙って、電磁波か超音波、あるいは放射線などによる加害をしているのは確かです。それは体感と体調ではっきりと分かります。

測定器を買えばいいのですが、今はその余裕がありません。因みに、大分前に購入したトリフィールドメーターには反応しません。何か特殊な媒体や周波数を使って加害しているようです。

肝臓や腎臓を狙って、就寝時に何かを照射されるのは毎日のことなので、かなり身体的なダメージも蓄積していることでしょう。

そんなのはお前の妄想だ?

いいえ、妄想などではありません。精神病でもありません。そうではない根拠はいくらでもありますから。

これを殺傷行為と言わずに何と言うのでしょうか。それを実行する犯罪集団(テロリスト集団)が、平然と、普通の市民の顔をして生活しているのです。本当に恐ろしい世の中になってしまったものだと落胆せずにはいられません。

この加害者たちに相応の報いが訪れることが唯一の救い

私はこれらの筆舌に尽くしがたい苦痛を与えた者たちを一人残らず、蛮行に加担した者の全てを、決して許すことはしません。というかできません。

このような苦痛を与えた者には相応の報いがあり、与えた苦痛の何倍もの苦痛を味わうことが、被害者にとってのせめてもの魂の救済なのかも知れないと、そんなことをよく考えます。

叶うことならこの者たちを今すぐに地獄に送ってやりたいと私は思うのです。過激な事を言っていると思われるかも知れませんが、同じ目に遭えば同じことを思うはずです。例えば自分の愛する家族やペットを殺されたら、その相手にどんな感情を抱くか、ほんの少し想像してみたら分かると思います。

技術の進歩は人間に多くの利益と利便性をもたらした一方で、人間性を根こそぎ奪う魔力にもなってしまったのです。金銭的な利益や自分の変態性や狂気を満足させるという誘惑に負け、あっさりと自分の魂と人間性、精神性を売り渡し、殺人者に成り果てた者たち。

他者を殺めて得た、血濡れた金で贅沢をして満足なのかと、この愚かな者たちに問いかける。

こういう人間の姿をしたモノたちは、一体どんな最後を迎えるのかと想像すると、少しは気持ちも晴れる気がします。

卑劣で卑怯な手を使い、無抵抗な者の命を奪い、喜びに浸る犯罪者どもが、一日も早く行くべき場所に行きますように。



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