
長崎に原爆が投下された日から今日で76年目。犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
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過ちは「繰り返させません」から

戦争を体験していない私たちは、それがどんなに悲惨で、どんなに残酷なものだったのかを知る由もありませんが、残された遺品や写真から伝わる凄惨さに言葉を失います。

特攻隊員の遺書も涙なしには読めません。
国と家族を守る為に、その尊い命を喜んで捧げた若き英雄達。命と引き換えに守り抜こうとしたこの国は、今どうなってしまっているのかと考えると、申し訳ない気持ちで一杯になります。
どんな理由があろうと、戦争など二度と起こしてはいけないし、人間同士が殺戮しあう事など、神も仏も望んでなどいないのに、人間はなぜこんなにも愚かなのか?それは戦争を望む者達がいるから。
日本は戦争回避を願い交渉を続けていたのに、強制的に戦争に突入させられた。それが実態です。
「過ちは繰り返しませんから」という言葉を口にすべきは日本人ですか?日本人が言うべきは次の言葉ではないでしょうか。
過ちは繰り返させませんから
どんなに相手が強大であろうとも、そうした気持ちだけは忘れずにいたいと思います。
戦争の背後に蠢く勢力に飲み込まれつつある世界
原爆投下によって戦争が終結し、それ以上の(自国の)犠牲者を出さなかったのだから・・と自己正当化する国があります。人間だけでなく動物まで、多くの命を根こそぎ奪い去った「かの戦争」がなぜ起きてしまったのか、なぜ日本は戦争に引きずり込まれたのかを考えると、激しい怒りが込み上げてきます。
背後で蠢いていた者達の狡猾さと冷酷さを知ってしまうと、今も尚、そうした勢力がこの国を、そして世界を苦しめている事を、半ば絶望に近い気持ちで眺める他ないのですが、その勢力(※某国際ステルス民族)を擁護する人達が大半という、さらに絶望的な状況に言葉を失う日々。

私たちのような組織犯罪の被害者が苦しめられているのはまさにそれと同じ人達なのに、そのことを重視しないばかりか、相手に利する言動ばかりでは、解決するものもしないのは自明です。
毎年8月は、2度の原爆記念日が到来します。そんな中でも相変わらず犯罪アピールに余念のない者達は、どのようなルーツや背景を持つ者達なのかを常に考えてしまいます。
そして今年は東京オリンピックが開催され、日本選手の活躍がめざましい中、君が代が流れるタイミングや、日本選手が入場した直後などに、爆音バイクが徘徊したり、高速道路からサイレンが鳴るという、いかにも日本への愛国心を持たない者達の犯行と思われる事象が続いています。
日本への愛国心を持たない者たち、もっと言えば、日本を憎んでいる者たちが、このおぞましくも醜い手法で、今も日本人を苦しめているに違いないと、改めて思うのでした。
追悼から始まり、自分の被害に内容が変わってしまいましたが、戦争にしても、この組織犯罪にしても、仕掛けているのは、おそらく同じ勢力です。(断言したい所ですが、決定的な証拠を掴めないため、推察に留めておきます。)
黙祷を捧げながら心に浮かんできた言葉は・・・。
仇は取りますから。
とは言え、簡単に仇を取れる様な相手ではありません。ただの「はったり」です。それでも、そうした気概だけは失いたくないと心に誓う76年目の原爆の日の駄文でした。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。