「気にしない」「無視する」「相手にしない」のススメ?その先に救いはあるのだろうか

集団ストーカー被害者は、どのようにこの被害と向き合っていけばいいのか、様々な意見や考え方があると思いますが、私にはどうしても腑に落ちない、というより、反発を感じてしまう主義主張をされる方々がいらっしゃいます。

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気にしなければそれでいいのかという疑問

前回も少し書いたのですが、真っ先に違和感を抱くのは、「気にしない」、「無視する」、「バカは相手にしない」というようなことをしきりに他の被害者に奨励している方々です。

確かに、全てを気にしていたら神経が参ってしまいます。スルーできる時はスルーし、できるだけ自分の意識に入れないようにすることも大事です。

しかし、相手は嫌がらせ一筋のような集団ですから、こちらが気にしないようにしていても、強引に意識に入り込んで来ようとします。

例えば、私が引きこもっている為、何とか意識させようとして、バイクを吹かして威嚇してくる輩がいます。それをやっているのはおそらくH野井家の息子(Y二)ですが、私が少し仕事をしていたりして、集中しているような時に、いきなり近くで爆音と共にエンジンを掛けるので、吃驚して椅子に座りながら少し体が浮いてしまうのです。ここ最近は毎日のようにその嫌がらせがあります。

頻繁に外出するなら、そのような時を狙ってまとわりつくこともできるでしょうが、今は外に出ることもままならない状態なので、嫌がらせ、つまり自分達の存在を気付かせ、私が常に監視されていることを意識させ、精神的に疲弊させる為に「音を使う」のです。

言うまでもないことですが、そうしないと屋内にいる私に気付かせたり不快にさせることができないので、とにかく爆音やサイレンなどで私の平常心と生活を乱そうとしてくるのです。あるいは睡眠妨害をして体調不良にさせようと画策しているのです。

しかもそのタイミングたるや、まさに室内を盗撮していないと不可能なタイミングなので、その度に

ああ、私はずっと生活を覗かれているのだな、最早誰にも干渉されず、誰にも見られずに、プライベートな時間と空間で自由に生活することは叶わないのだな

と思い知らされるのです。

例えば耳栓やヘッドフォンを外した途端にサイレンが鳴ったり、ベランダに1歩足を踏み出した瞬間、あるいは窓を開けると同時に、待ち構えていたHらがバイクのエンジンをブルンと吹かすのです。しかもかなりの爆音なのでベランダに出る時でさえ身構えてしまうのです。

普段は手にカメラを持ち、耳栓とヘッドフォンで「武装」してからベランダに出るのですが、ちょっと面倒な時など、すぐに部屋に入るからいいだろうと思って無防備のまま出てしまったりすると、それこそ、飢えたハイエナが待ち伏せる草原に足を踏み入れた草食獣のように、いいように仕掛けられてしまいます。少ないチャンスを逃すまいというのが如実に伝わってくるのですが、この時とばかりに一斉に現れるのですから、ただただ気持ち悪いのです。思い出しただけで吐き気を催してしまいます。

洗濯物を取り込んでいる時などは、絶好のアピールタイムで、子供が不自然に奇声を発したり、井戸端の話声を聞かせてきたり、側溝の蓋を鳴らしてみたり、ヤ○トがエンジンを始動したり(エンジンの始動音に特徴があるので分かってしまう)、サイレンが鳴ったり、とにかくあの手この手で私の精神を苛立たせ、掻き乱そうとして来るのです。

自分の家にいるのに、ちょっとベランダに出るだけなのに、ゴミを出しに出るだけなのに、なぜこんな思いをしなければならないのでしょう。

サイレンや爆音の記録の為、室内からカメラの電源を入れてベランダに出ると、ものの見事に、まさに寸分違わぬタイミングで車が出て行くのですが、一体どうやってタイミングを合わせているのか、本当に不可解です。というか気持ち悪いのです。

家にいてもこんな状態なのですから、外出したらどうなるか、考えなくてもわかります。それこそ蜂の巣を突いたように一斉にまとわりつかれるのはわかりきっています。おそらくそのような状況が1週間も続けば、私は発狂してしまうでしょう。

なので、引きこもり生活を余儀なくされているのですが(こういう状況なので、引きこもりが重大な社会問題であるかのように言われると何気にカチンと来てしまうのですが)、室内にいればいたで、いきなり爆音で驚かされてしまう為、常に耳栓やヘッドフォンで防御しなければならず、また常に覗き見されている為、心が安まる時がありません。私が音楽や動画の音声を聞いているかどうかも分かっていて、少しでも音が途切れると、すかさずエンジン音やサイレンや何やらで私の聴覚と意識に入り込んでくるのですから、まったく気持ちの悪い連中です。

※引きこもらざるを得ない状況にいる人間に外に出ろと言うのは、虐めで不登校になっている子に、無理矢理いじめっ子の待ち構える学校に行けと言っているのと同じです。そして、自らも集ストに加担し、引きこもり人口の増加に大きく「寄与」していながら、「中高年の引きこもり現象の裏にあるのは・・」などと、白々しくネガキャンしているマスコミの悪辣さには、心底辟易しています。

不快なだけではなく、心臓への負担も相当なもの

まとわりつかれる気持ちの悪さだけでなく、バイクの爆音を繰り返し聞かされると、心臓にもかなり悪影響があるはずです。いきなり驚かされると心臓をわしづかみにされたような痛みを感じるのですが、これが体にいいわけがありません。

もし、どこかの部屋に心臓の悪い人が住んでいたら、心臓発作を起こしても不思議ではないと思いますけどね。そんなことが何度も続いたら、死亡することだってあるでしょうね。

このように、集団ストーカー犯罪者というのは、嫌がらせの為なら人の命に関わるようなことも平気でするような者達ですから、「気にしなければいい」「無視すればいい」という考えは、あまりに短絡的で無責任だと思うのです。

それはつまり、加害者(実行犯)らを野放しにしろと言っているのと同じことなんですから。

この犯罪を嫌という程認識している被害者がまずしなければならないことは、この犯罪者どもを徹底して炙り出し、その所業を明るみに出し、白日の下に晒し、そしてこの犯罪を根絶することではないのですか?

そうしなければ、加害者どもは次から次に獲物を見つけては、標的になった人物から、生命も財産も社会的な信用も個人の尊厳もプライバシーも何もかも奪い尽くす、残酷で醜悪な人間狩りゲームをやめることはないのですから。

最早それなしには生きられない中毒患者、あるいは麻薬常習犯のような連中です。もしくは金の為に悪魔に魂を売った悪魔の手先。

そんなおぞましい者達の標的となってしまった私たちTI。では一体どうすればいいのでしょう?

「気にしない」というのは一見「賢い選択」、あるいは「大人の対応」のようにも思えます。あんな者達に付き合うのは時間の無駄、人生の損失、相手にせず自分の人生を大事にしよう・・、それも理に叶っているようにも思えますが、よくよく考えると、根本的な解決から逃げているだけなんですよね。戦わずして逃げているだけ。

それで誰が得をするかと言えば加害者です。被害者から厳しく追及されることもなく、この先も自分の利益の為に、このような、世にも醜き覗き見変態ストーキング犯罪と嫌がらせを「安心して」続けることができるのですから。

24時間の付きまといがなぜ可能なのか

ターゲットになると、いつ、どこに行っても、何をしていても、タイミングを合わせて工作員が現れたり、ピンポイントで嫌がらせを仕掛けられたりします。それはなぜ可能かと言えば、24時間盗撮をしているからに他ならないのです。

24時間、プライバシーの一切無い生活が耐えられますか?

集団ストーカー=卑劣な変態盗撮犯なのになぜ気にしないでいられますか?

あるいはリモートビューイングのようなことができるのかも知れません。壁を隔てて隣の部屋を透視するようなことも可能です。どのような方法であっても、プライバシーの一切ない生活というのは、著しい人権侵害です。それを気にするなというのは一体どういうことでしょうか?

私はお風呂を覗かれるのが本当に嫌で仕方がありません。自分だけではなく、娘も同じように覗かれているのですから、そうした映像がどこかで配信されていたりすることを考えると、どうにも我慢がなりません。そのような者達を探し出し、今までの苦しみの何倍もの苦痛を味わわせてやりたいと心の底から思うのです。それこそ極刑にして欲しいとさえ思っています。

「動画に映っていた女性の何人かは、自ら命を絶った。」

まさにこういう被害なんです。付きまといは無視できても、盗撮は無視できない。いや、無視していたら大変なことになる。というか既になっているはず。それなのに気にしなければいい、無視すればいい、相手にするなってどういう神経なんでしょうか。自分さえ良ければいい、というのと大して変わらないじゃないですか。

24時間プライバシーを見世物にされている。私はそんな惨めな人生を送る為に生まれて来たのではないし、これからも「見世物」として生きるつもりはない。プライバシーの窃盗犯どもは、今すぐ出て行けと叫びたい。二度と私に干渉するな、と。

無視のススメ?

まぁ、私はこういう跳ねっ返りな性格なのですが、一口に集スト被害者といっても、性格も好みも被害内容も違います。被害に対する感受性も千差万別だと思います。

当然ながら、自分は集ストの付きまといなんて気にならないという方もいるでしょう。それはそれで別に構わないと思います。気にしない、無視する、それができるなら、それに徹したらいいと思うのです。無理に気にする必要なんて微塵もありませんから。

そして集団ストーカーのことなど忘れて、大いに人生を楽しんだらどうでしょうか?そのような方を見かけたら、「集スト被害者卒業おめでとう」と、力なく声を掛けるか、遠くから眺めることくらいはできるかも知れません。

その一方で、「卒業」したはずなのに他の被害者にせっせと無視を奨励している人達って何なんだろうという違和感がずっとあるのです。励ましたい、他の被害者を少しでも楽にしてあげたい、という純粋な気持ちの発露なのかも知れませんが、どうもそれとは違う思惑があって活動している人達が一部に存在しているような気がしてならないのです。

ここで書いていることはまさにそのような、私から見て違和感のある方々に向けた言葉なのですが、あなた方が悟りの境地に至り、今はもう苦しくないならそれでいいじゃないですか。ただし忘れていただきたくないことがあります。「卒業」したことをこれ見よがしに自慢されると余計に苦しくなる「現役被害者」もいるのです。卒業したくても卒業できない、何度も何度も卒業試験に失敗する私のような落ちこぼれ被害者もいるのです。そのことを少しだけ心の片隅に置いておいていただきたいと思うのです。

しかしながら、そのようなことに思いが至らないのは、本当の被害の経験がないから、本当の集スト被害の苦しみがわかっていないからではないか、などとつい私は余計なことを考えてしまったりするのです。

私は別に不幸自慢をしているのではありませんし、した覚えもありません。被害ランキングなど下らないことになど興味はありません。むしろ、それを言っていたのは街宣組の人なのですがね。

「被害が一番大変なのは街宣をしている人達なのに、あなたは「活動」も何もしていない」と、かつて私に言い放った人がいました(JBというアカウントでした)。

そこまで断言するからには、他の被害者のところに出向いて、被害状況を実際に見て確認したのですよね?まさかそんなことができるはずもないのに、なぜそこまで断言できるのかと非常に不快な気分になりました。いずれにしても、私が動画や画像をUPして被害自慢をしているかのような、妙な印象操作はやめていただきたいものです。

被害自慢をしたところで、何の意味もないことは、私自身が一番分かっています。それで1位になって何が嬉しいのですか?空しいだけじゃないですか。私が言いたいのはそういうことではありません。不自然なまでに「無視のススメ」をゴリ押ししている人達の言動の根底には、被害の解決とは違う何か別の目論みがあるように思えてならない、と言っているのです。

徹底して無視しましょう、ということはつまり

加害者を糾弾するな、追及するな、白日の下に晒すな、と暗に言っているのと同じ

じゃないでしょうか。

それって要するに、ストーキング犯罪を有耶無耶にして、加害側を擁護したいだけじゃないの?なんて下衆の勘ぐりの一つも入れたくなってしまうのですが、もし「気にせず無視する」だけでこの犯罪が解決すると本気で思っているとしたらあまりにお目出度いとしか言いようがなく、本当の被害に遭っているのかさえ疑問に思ってしまうのです。

今はネットで被害者が画像や動画を上げたりできてしまう為、私のように人物を特定して糾弾する被害者がさらに増えると困るのか、何か妙に焦って火消し(隠蔽工作)しているように思えてならないのです。

被害者の連携やアドバイス、サポートという体裁で、なだめすかしてガス抜きして違う方向に目を向けさせようとしているのではありませんか?末端加害者達を特定したり、実態を暴露したりしないように、巧妙に誘導しているだけではありませんか?

自分の被害ばかりに目が向いている?

それと、私が反発を感じる主張が他にもあります。

自分の被害を熱心に語っている被害者は、半ばパニック状態に陥り、見るもの全てをストーカーだと決めつけ、あれもこれも被害だと思い込み、勝手に自滅しているかのような印象操作をしている人達の声です。

確かに一部にはそういう人もいるかも知れません。特に被害に気付いて日が浅い人の場合、そうなってしまう傾向はあるでしょう。あるいは自作自演でわざとそのようなことを言っている人物(工作員)もいます。被害者の信用を落とす為に統合失調症を自作自演している偽物も大量にいるのです。なので十把一絡げにされ、同列に扱われるのは非常に迷惑であることをお伝えしておきたいと思います。

その上で言わせていただきますが、あれもこれも被害だと思い込み自滅している?

申し訳ないのですが、そういうの、全然外れですから。ちゃんと見極めできてますから。何年被害者やってると思っているんですか?バカにしてもらっては困ります。それだけの被害に遭ってきたからこそ、この被害から目を背けることはできないのです。

自分の被害ばかりに目を向けている?

当たり前じゃないですか。他のことを考える余裕もないし、この加害者達の所業を明るみに出さずしてどんな未来があるというのですか?常に意識の中に入り込もうと狙っている者に取り囲まれた状態で、一体何を楽しめるというのですか?

「集団ストーカー被害者」と言っても人それぞれですし、気にしないでいられるならそれでいいと思います。それ自体を否定しているのではないのです。また、本気で解決する気のない人達に付いて行くのも自由ですが、私はそのような人達とは相容れないし賛同もしません。徹底して戦う(明るみに出す)と決めていますので、スピンとネガキャン、そして悪質な剽窃行為はやめていただきたい、ただそれだけです。

私から見たら追及を躱す為の方便にしか思えないのですが、「気にしなければいい」ということではまったくありません。それとも、そういうことを奨励している方々が、盗撮された映像を回収していただけるのですか?無視以外に何をアドバイスしていただけるのですか?

そもそも、根本的に解決する気がない人の有り難いアドバイス?私はノーサンキューです。

自分の被害ばかりに固執して周りが見えていない、と仰るなら、逆に言わせていただきますが、自分の被害を具体的に語らない人が本当の被害者だと、どうやって確認できるのでしょう?確認もできないのに信用してしまうのですか?

相手が本当の被害者かどうか知るには動画を見れば一番わかりやすいので、私はそういうものを投稿している人でないと信用できない、というより、そうした判断材料がない人は判断できないから保留にしている。ただそれだけの事。

もちろん動画を投稿している人の中にも偽物はいるでしょうし、様々な事情で動画や画像を投稿できない方もいらっしゃるでしょうから、動画をUPしていないからといって偽被害者だと言うつもりは微塵もありませんので、妙な曲解で風評を流すのはやめていただきたいと思います。

また以前は被害者だったとしても、どこかの時点で加害側に取り込まれてしまったように思える人もいます。それでも“直近の”動画を見れば「この人は本物だ」とわかることも多いのです。

だから、自分は信用されないと嘆く前に、自分を信用しない相手が悪いと責める前に、せめて信用してもらえるような材料を提示する努力は必要じゃないでしょうか?

同じ被害者なら何もしなくても分かってもらえると思っていらっしゃるのか、自らは何もせず、ただ被害者を名乗るだけで信用してくれというのは、少々虫が良すぎると思います。

偽物は所詮偽物、本物にはなれない

被害を語るということは、他の被害者に自分が本物だと分かって貰う為にも必要なことだと思います。そして偽物を炙り出す為にも有効です。

なぜ偽被害者が大量に存在するかと言えば、本当の被害者が誰なのか、訳が分からない状態にする為です。別に私が偉そうに講釈するまでもなく。

例えば本当の被害者がガラス玉だったとして、そのガラス玉を目立たなくするには、あるいは見えなくするには、その上に大量の小石を撒けばいいのです。その小石には皆、「被害者」と刻印してある。そうやって、本当の被害者を人々の目から覆い隠し、小石ばかりが偉そうに先頭に立って“指導”し、被害者代表のように振る舞い、あるいは主流派のようにグループを作り、注目を集め、賞賛される。そして本当の被害者は埋もれてしまい、お互いを見つけることもできず、あるいは警戒心から繋がることもできない。

そんな偽物軍団に付いて行って、本当の被害者が望む結果が得られるでしょうか?おそらく、こんなはずではなかったと後悔することでしょう。だって解決などしないのですから・・。

もともと解決など目指していない偽物達は、煙に巻く為の「自説」を熱心に布教し、それを皆、有り難がっているのです。中には太鼓持ちのサクラもいるでしょう。しかし本気で信用してしまう人も少なからずいる為、その偽物詐欺師が布教する「自説」に陶酔し、まるで教祖様のように崇める。殆ど宗教じゃないですか。どこぞのそうかそうかの茶番劇を見ているようで、思いっきり白けます。

かくいう私も、ネットに参入した頃は、被害者を名乗っていればみな被害者だと思っていたので、いいように騙され、翻弄され、無用なトラブルに巻き込まれ、時間とエネルギーを思いっきり無駄にしました。

だから敢えてこのようなことも言うのですが、被害に気付いたばかりの人は、どうか私と同じ轍を踏まないで欲しいのです。口先だけのきれいことに惑わされず、慎重に見極めていただきたいのです。そして間違った人に付いていかないでほしいと思います。その人が本当に被害に遭っていることが確認できる情報があるか、まずはそれに重点を置き、見極めて欲しいと思います。それらしい情報を発信することは、実は被害に遭っていなくても可能なのです。どうか騙されないでください。

そういう訳で、本物と偽物を区別する為にも、自分の被害をできるだけ詳細に語ることはとても重要なことだと思うのです。なのに自分の被害を語らない事=被害者として優等生のような印象操作にはうんざりです。逆に言えば、被害を克明に語っている者は落ちこぼれと暗に言っているようなものです。

私のような口の悪い被害者は敬遠されがちですが、また罵詈雑言は控えるべきですが、相手が相手ですから(実行部隊はヤクザ、反グレ、カルト集団です)、お上品に対応していてことが解決するとも思えません。

親切でフレンドリー、優しい言葉、穏やかな口調、慰め、美辞麗句、、、そんなきれいことで何か解決しましたか?

大体にして、偽被害者や工作員らは、同じ被害者を装い、同情したり心配するふりをして近づいて来るのです。

そして途中で違和感を覚えて警戒し始めると正体を露わにする。そして壮絶に豹変し攻撃してくる。そういう修羅場を何度もくぐり抜けてきたので、もう手の内は分かっています。人間不信にだってなるでしょうに。だからもう、顔の見えない(被害の見えない)相手に対し、簡単に心を開くことはありません。その人が表でどんなきれいことを言おうとも、どんないい人を演じていようとも、腹の底で何を考えているかなんて本人にしか分からないのですから・・。本人以外にわかるとしたら、それは盗撮や思考盗聴している加害者達だけです。

やましいことを考えている人間ほど、表ではいい人を演じるのです。自分のやましさを隠そうとして・・・。

画像出典:写真出展ぱくたそ

親切そうに声を掛けてきたのは単なる詐欺師だった。そんなことはいくらでもあります。以前の私のように脳内お花畑が1年中満開状態で、そこまで悪い人間などいることも想像できないなら、詐欺師のいいカモにされるだけ。自分がそうだったから言えるのですが、無知というのは恐ろしいことなのです。

詐欺師が詐欺師に、スパイがスパイに、泥棒が泥棒に見えたら終わり、狡猾な詐欺師や工作員どもがそんな初歩的なヘマをするわかないじゃないですか。

清水由貴子さんが動画の中で語っておられましたよね。「S学会員の婦人部の人達が、それはそれは親切にしてくれた」と。要するに下心があるから、親切にする、いい人を演じる人達がいるのです。

 

「これ、動画で取らないと証明できないと思ったんで」

「あ、やっぱりそう思いますか?私もそう思います。」

これです。これが偽らざる被害者の本音だと思います。逆に、こういう気持ちにならないほうが不自然に思えます。自分の被害を具体的に語らず、映像として記録もしないって、本当に被害者なのか?解決する気はあるのか?と疑問を抱いてしまうのです。






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